口付けは残酷な惑いを告げる
室内に響く水音に、俺は口へ咥え込まされているものに歯を立ててやりたくなる。しかしそうしてこの男に滅茶苦茶にされたことは記憶に新しい。歯の代わりに舌を押しつけ、下から先端へと這わせていく。そうしてそこをぐるりと刺激すると、口の中のものはびくびくと反応を返した。そろそろ限界が近いのだろう。
「ん、は……ふう……」
「はぁ……ふふ、JJ、キミ随分うまくなったよな」
黙れ、という代わりに先の方を吸い上げてやる。瑠夏は苦しげな息を漏らしながら、俺の頭を掴む手に力を込めた。先から口を離しまた全体に舌を這わせ刺激していくと、それはようやく熱を吐き出した。瑠夏の出した白濁が顔へとかかり、その気持ち悪さに俺は眉を顰める。出すときはそう言えと毒づくが、瑠夏は満足そうな表情で俺を見下ろすだけだ。
ベッドに腰かけていた瑠夏は身なりを整えると、欠伸をしてベッドへと横になる。俺も床から立ち上がり、置いてあったタオルを引き寄せ備え付けの水道で顔を洗ってからそこを拭う。それでもまだ独特の匂いが鼻につき、小さく舌打ちした。
この男との生活は最悪だった、瑠夏の欲望は底なしで、俺は昼夜関係なく奴の自分勝手な求めに応えさせられている。俺を滅茶苦茶に抱くときもあれば、今のように奉仕だけをさせて眠ることもあった。どちらにせよ、俺がこの男の玩具であることに変わりはないのだけれど。最初の頃こそ嫌がり反抗し、咥えていたものに歯を立てたこともある。その度に瑠夏は特に酷く俺を抱いた、不思議と暴力こそ振るわなかったがそれでも徹底的に俺の心と体を貶め、くだらないものだとでもいうようにプライドを折る。いつしか俺は自分の中にある牙を隠し、この男に従うことを覚えていた。
「なぁ、JJ」
眠ったとばかり思っていた瑠夏が、寝返りをうち俺の方へ視線を向けると声をかけてきた。この男がこうして行為の後に声をかけてくるのは別段珍しいことではない。それは決して甘い睦言ではないが、元々話すことが好きな性質なのか瑠夏はとりとめなく自分のことを、好きな食べ物のことや俺に会う前のここでの生活について、自分がキングシーザーというマフィアのボスであることなど、実に様々なことを話す。マフィアのボスであるという話には面食らったが、それ以外はどれもが取るに足らない話だった。けれど、滅茶苦茶にされている時とは比べ物にならない程の穏やかな空気は、この男との生活の中でほぼ唯一心休まる時間だった。
「……なんだ」
「キミは、ここに来るまでどんな生活を送っていたんだ?」
その質問に、俺は虚をつかれ瑠夏を見た。この男が今まで俺の過去について聞いてきたことなどなかったからだ。瑠夏は自分のことを気ままに聞かせてきたが、俺のことを知ろうとはしなかった。支配欲を満たし欲望の捌け口に出来る相手へそれ以上の興味はないのだろうと、そう俺は解釈していたのだが。
「……別に、知る必要はないだろう」
「ボクが知りたいんだ、話せJJ」
語調を強くされると、俺はそれに逆らおうとは思えなくなってしまった。逆らえばどんな目に合わされるか、この身が一番よくわかっている。仕方なく瑠夏のベッドへ近付き床に腰を下ろす。瑠夏と目を合わせないまま、俺はぽつぽつと自分の過去について語り始めた。ただ、自分のことを話すのは得意ではない、というか今までこうして誰かに話したことなどなかったので、その語り口は自分でもわかるほどたどたどしいものだった。そうして話す中で、あえて避けていたことを瑠夏は楽しげに問いかけてきた。
「キミを、いやらしくボクを煽る身体に仕込んだ男は?どんな風にキミに教え込んだんだ?」
「…………」
「今更恥ずかしがることじゃないだろう?ほら、話すんだ」
ここにきて、この男が俺に何をさせたかったのかようやく理解した。瑠夏は退屈しているんだ、だから俺に話したくない記憶を自分の口で語らせ、その姿を見て暇を潰すことにしたのだろう。その証拠に言葉を詰まらせた俺を見て、瑠夏は楽しそうな笑い声をこぼしている。
「嫌、だ……」
その記憶を語るのは、未だに辛いことだった。虎に支配され、服従し、毎夜その男に好きなように蹂躙される。そんな行為の中ですら熱くなってしまう自分の身体を嫌悪していた日々。しかし考えてみれば命の危険があるかないかの違いだけで、今瑠夏が俺にしている扱いとそう変わりはない。虎の次は獅子に囚われた、それだけのことだ。
「JJ」
短く瑠夏が俺の名前を呼ぶ。その声に小さな苛立ちが混ざっているのを感じ取り、俺は膝に自分の顔を埋めるようにして苦々しげに呟いた。
「……今、アンタが俺にしてる扱いと……そう変わらない」
「ボクがキミに、ね……それって、」
こういう扱い?と耳元へ囁いた瑠夏は、俺の身体を無理矢理ベッドへ引き上げ、倒す。焦って身体を捩るが瑠夏は簡単に俺を組み敷くと、いつ手に入れたのか銀色に光る手錠を取り出し、俺の片手とベッドサイドをそれで繋いだ。ガチャリと鳴る音に、俺はいつかの絶望を思い出す。
無駄だとわかりつつもう片方の手で覆い被さる身体を押し返そうと試みるが、瑠夏はその手を抑えつけあっという間に俺の服を剥ぎ取ってしまう。一糸纏わぬ姿にさせられた俺の足を左右に割ると、そのまま俺の全身へ舐めまわすような視線を向けてくる。羞恥に足を閉じようとする俺を、瑠夏は許さないとでもいうかのように自らの身体を割り込ませ、俺の手を抑えつけているのとは逆の手でさらに大胆に広げさせた。
「っ……!」
「なあJJ、いつもと同じじゃキミもつまらないだろう?」
瑠夏は抑えつけていた俺の手を掴み、曝け出された俺自身の後ろへと触れさせてくる。ぞわりと悪寒がして、俺は縋るような目で瑠夏を見た。それでもこの男は妖しく笑いながらこちらを見つめ返してくるだけだ。
「自分で、ボクを受け入れる準備をするんだ。出来るね?」
「……っ……無理、だ」
「なら、このまま受け入れるかい?痛いのが好きならそれでもいいけれど」
「嫌だ……!」
「なら、やるんだ」
何の準備もされていないまま貫かれた時の痛みを思い出し、恐怖で体が震えた。満足に呼吸も出来ず、ひたすらにその苦痛が過ぎるのを待つだけのあの時間はもう二度と味わいたくなかった。放された手をノロノロと動かし、指を口に咥える。唾液で充分に濡らしてからそれを後ろへと触れさせるが、それ以上手を動かすことが出来ず俺は悔しさに目から涙をこぼした。この男を受け入れるためにここへ指を埋め、慣らす。それは考えただけで吐きそうになる程の屈辱だった。
「JJ……ボクを退屈させるな」
「――っ!」
瑠夏の声が低く、不機嫌なものに変わる。俺はびくりと身体を揺らし、歯を喰いしばりながら指を1本ゆっくりと中へ埋めていく。中の異物感と指に伝わる高い温度にまた目から涙がこぼれた。それでも指を止めることは許されない、数回抜き挿しをして少し解れたそこへ2本目の指を埋める。そのまま動かし続けていると、気持ち悪さしか感じなかったそこに妙な感覚が生まれてくる。それを理解したくなくて、俺はひたすら機械的な動きで後ろを解し続けた。3本に増えた指を簡単に飲み込むくらいになって、ようやく瑠夏が言葉をかけてきた。
「くっ……は、ぁ……」
「そろそろ大丈夫そうだね……それにしても」
「なん、だ……っ、あ!」
「自分の指でこんなに感じて……嫌だって言いながら、キミも楽しんでいるんじゃないか」
いつの間にか昂ぶってしまっていたものを瑠夏の手に握り込まれ、俺は嫌だというように首を振った。瑠夏に痛みも快楽も散々に教え込まれた場所は、自分の指でも快楽を見つけ出してしまっていた。そのまま俺のものを数度擦り上げた瑠夏はそれを中途半端に昂ぶらせたまま手を離し、繋がれている手錠を外した。
「お、い……」
「じゃあ次は、ボクの方を頼んだよ」
「なっ……」
「その口で奉仕して、自分から上に乗るんだ、JJ」
「……最悪、だ……アンタ」
吐き捨てるようにそう口にしてから俺は瑠夏の前へ膝をつき、服を脱がせると少し昂ぶりだしている瑠夏のものへ手を添え、口に含む。自分の唾液を塗りつけながら舌で刺激していくと、それはどんどん固さを増し張り詰めていく。もういいだろうと口を離し瑠夏の肩へと手を置くと、その先端を後ろへとあてがう。屈辱で心は埋め尽くされていても、その感覚で俺の身体は小さく震えてしまう。
「よく見えないな……もっと足を開いて」
「……くそ……っ」
「うん、そうだ……ゆっくりと、キミが自分からボクを受け入れるところを見せてくれ」
俺の行動はこの男の支配欲を満足させているらしく、頬を薄く染めながら欲情しきった瞳で俺が瑠夏のものを受け入れていく様を眺めていた。後ろを埋められていく痛みと圧迫感、しかしその後に待つ快楽を教え込まれた身体はぞくぞくと熱を高めていく。その熱が痛みすら甘い痺れに変えていき、俺は熱い息を吐きながらすぐにでも閉じてしまいそうな足を無理矢理広げ、ようやくその昂ぶりを全て飲み込んだ。
「んっ……これ、で、満足か……」
「うん……その表情、たまらないな……悔しそうに感じてる、キミの顔」
「うるさい……さっさと、終わらせろ……」
「それは叶えてあげれないな。ボクの気が済むまで、付き合ってもらうよ」
「っ!あ、あぁ!」
繋がったまま身体を倒され、激しい抽挿が始まる。瑠夏の獣じみた求めに、俺は声を抑えることも出来ず揺さぶられた。苦しいほどに俺を埋めている熱い昂ぶりが中を擦るたびに、そこから覚えのある疼きがわきあがってくる。その感覚に自分のものが固さを増していくのに気付き、悔しさにようやく引いた涙がまた滲む。
「あっ、ん、あぁっ……!」
「あぁ、本当にキミは……JJ、キミはボクのものだ、絶対に、逃がさない……!」
俺の昂ぶりを擦り上げ、瑠夏は尚も深く貫いてくる。俺の全てを喰らい尽くそうとでもいうかのような貪欲な行為、それは瑠夏が俺の中に熱を吐き出しても終わらず、激しく揺さぶられながら何度も何度も、俺は最奥に熱を注がれた。
「JJ、JJ、起きろ」
「っ、ん……あ……?」
どうやら、少し気を失っていたらしい。いつの間にか瑠夏はすっかり身なりを整えている……というか、今まで見たこともないような出で立ちをしていた。素人目に見ても良いものだとわかるような上等なスーツに身を包み、ベッドに倒れた俺を見下ろしている。まだはっきりとしない意識の中ぼんやりと瑠夏の姿を見つめていると、奴は俺の横に見覚えのある服を置いた。それは俺がここに連れてこられた時着ていたものだ。
「……?何のつもりだ?」
「ボクはね、今日でお勤めを終えるんだ」
「……おめでとう、とでも言ってほしいのか」
「ははっ、何言ってるんだJJ。それならキミだって、おめでとうだろう?」
「……どういう、意味だ……」
正確な服役期間はまだ告げられていなかったが、それなりに長い期間をここで過ごすことになるはずだった。瑠夏がいつからここに居るのかは知らないが、少なくとも出所の時期はズレるはずだろう。
頭の中に、ここに来た時に聞いた耳障りな金属音がフラッシュバックする。そうだ、あのときこの男は、
「ここから出ても、ボクからは逃げられないって、言っただろう?」
物分かりの悪い子供に言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ瑠夏。そしてベッドに座ると、動こうとしない俺に服を着せてくる。
「嫌……だ……」
「駄々をこねるなよJJ、早く出られてむしろよかったじゃないか」
「嫌だ……っ止めろ……!」
「JJ……手間をかけさせるな」
「――っ!」
瑠夏を押し返そうとした腕を掴まれ、強い力で握られる。骨がきしみ、俺は痛みとその声の低さに身体を固くした。瑠夏は決して俺に暴力を振るわなかった、けれどこの身体には、瑠夏の与える痛みを教え込まされている。その声に逆らうとどうなるかを、覚え込まされている。だから必要ないんだ、暴力で従わせずとも、瑠夏はただ低く命令するだけでいい。
おとなしくなった俺を見て瑠夏は満足そうに微笑む。優しい手つきで俺へ服を着せると、手を引いて床へ降りる。手が放されないまま、遠くから響いてくる金属音を瑠夏の隣で聞いていた。その手の温度に、いつかのように鼻の奥がつんと痛くなる。時折この男が見せるわけのわからない優しさに、俺はいつも混乱させられた。この男の本質を俺に疑わせる、支配し服従させ、どうしてか俺に執着するこの男の本質は、今見ているものと違うんじゃないかとそんなことを思わせる。その度に俺は気の迷いだと首を振った。
「今日から、JJもボクの家族だ。キミのことは、特別可愛がってあげるよ」
「……」
「行こうか、JJ」
そうして、瑠夏は俺の唇に軽い口付けを落とした。ふと、瑠夏と口付けを交わすのはそういえばこれが初めてかもしれないと、そんなくだらないことを考えた自分に嫌気がさした。目の前で檻の扉が開かれ、俺は瑠夏に手をひかれたまま独房を後にする。
獰猛な獣が、牙を失くした獣を連れて、外界へと出て行った。