きょうもあしたも猫日和 後編
字面だけ見ればとんでもないが、猫になって以来、夜一緒に居た奴のベッドで共に眠るのがここ最近の習慣になっている。とは言っても俺は瑠夏の飼い猫として認識されているらしく、大体の場合は瑠夏の部屋へと戻されそこで眠っていた。
今日も深夜にようやく仕事を終えたらしい瑠夏が、風呂を浴びたバスローブ姿のまま俺を抱えベッドへと潜った。シャンプーかボディソープか何かの花のような香りがふわりと漂う。俺の体や頭を思うままに撫でながら、瑠夏は幸せそうな顔をしている。
「んー……ジャックは、本当にJJに似ているな」
その手の気持ち良さに、ゴロゴロと喉を鳴らしてしまう。こういった己の反応に抵抗はあるが、どうやら自分の意思で抑えられるものではないらしく半ば諦めていた。その手に自分からも頭を擦り付けると、瑠夏はそこをくすぐるように撫でてくる。気持ちよさについ爪を立てると、その足を掴み肉球をふにふにと揉まれた。
「こーら、爪を立てちゃ駄目だろう?……ふぁ……」
しばらく俺で遊んでいた瑠夏も流石に眠くなったのか小さく欠伸を漏らす。そのまま俺を抱き込むようにして目を瞑ると、程なくして穏やかな寝息が聞こえてくる。疲れているのだろうか、瑠夏の腕をざらりとした舌で舐めてから俺も体を丸め目を瞑る。昼間にも寝ていたが、すぐ睡魔はやってきた。いつものように虎の声を連れて。
「おい、お前は俺が育てたんだ、無駄だと思わせるんじゃねえ」
「……今更人の夢に出てきて何を言ってる……」
「車一つ避けれねえ奴が粋がるな」
「あんたが、俺を……?」
「お前は虎にはなれねえみたいだな、お似合いだったぜJJ」
「……っ、おい、待てどういう……!」
あの時と同じような光に目を焼かれ、虎の姿は見えなくなってしまう。奴の言っている言葉の意味は少しもわからなかったが、もしかするとあいつが俺を助けてくれたのか。いや、いくらなんだって非科学的すぎる。しかし猫になっているという事実自体相当非科学的だ。誰に言ったところで信じてもらえそうにない、それどころか頭がどうかしたと思われてしまうのが関の山だろう。
考えたところで解決しないのなら、世の中には不思議なこともあるとでも思っておこう。不死身の人間がいるという噂もあるくらいだ、幽霊に救われて猫になった事くらいきっと珍しいことではない、のかもしれない。
遠くにカラスの声を聞いて意識が浮上した。顔にタオルの布地のような感触が当たり、そのむず痒さに身をよじる。しかし何かに体を拘束されているようでうまく動くことが出来ない。うっすらと目を開くと、白と肌色が見える。
「…………っ!?」
それが人の体だと気付き身を固くする、俺を拘束しているのもどうやらそいつの腕らしい。今の自分の状況を把握出来ず混乱するが、少ししてそういえば夜瑠夏と共にベッドに入ったことを思い出す。寝ぼけて動揺した自分を恥じながら瑠夏の胸をぐいと押しその腕の中から逃れようと、
「は……?」
人間の、腕だ。ふわふわとした毛も、鋭い爪もない、少し荒れた手の甲が俺の目に映っている。
戻ったのだろうか、始まりも唐突なら終わりも唐突だ。まぁ中途半端に戻されてはそれこそたまったものではないが。
「ん……ジャック……?」
まだ半分ほど夢の中に居るような声が、猫だった時の俺の名前を呼ぶ。背中や後頭部をぺたぺたと触られ、そのままその手が両頬を挟むように触れた。俺と目を合わせた瑠夏は不思議そうな表情でじいっと俺を見つめる。
「JJ……?キミ、いつ戻って…………」
「その……これは、」
俺の頬から手を離し、大柄な体躯をぐぐっと伸ばした瑠夏は欠伸をしながら身を起こした。俺も急いで起き上がろうとするが、瑠夏に肩を押されまたベッドへ倒れ込む。そのままでかい体が覆い被さってくる。
何の冗談だ、これは。嫌な予感に瑠夏を見ると、すっかり目が覚めたらしい奴は妖しい笑みを浮かべ俺の頬を撫でてくる。瑠夏は朝が弱かったはずだが、こんな時に限ってどうしてばっちりと目覚めてしまうんだ。まどろんでくれたのならどうにか逃げだすことも出来たろうに。
「お、おい瑠夏、何を考えて……」
「だって、ボクのベッドに潜り込んでくるってことは、そういうことだろう?」
「違う……!」
「あぁわかった、しばらく会えていなかったから淋しかったんだね」
「瑠夏、人の話を、」
「じゃあ、どうして僕のベッドに潜り込んできたんだ?僕と一緒にベッドに入ったのはジャックという猫だけだったはずだけど、まさか、君があの猫だったなんて言う気かい?」
まさにその通りなのだが、信じてもらえるわけがない。かといって瑠夏を納得させるだけのいい訳など思いつかないだろう、実際こうしてベッドに潜り込んでいるところを見られてしまっているのだ。数秒の思考の後、押し返そうとしていた腕の力を緩める。
「あー……いや、違わない、な」
「ほら。まったくキミは素直じゃないな、そんな所も可愛いけれどね」
瑠夏が唇を啄むようにキスを落とし服に手をかけてくる。手際良く俺の服を脱がせていく手つきに、どうにでもなれと思っていた気持ちが萎んでいく。
「おい、待て、まだ朝になったばかり、」
「愛し合うことに、時間は関係ないだろう?」
「誰かがアンタを起こしに来るかもしれないだろう……!」
「大丈夫、まだ夜が明けたばかりだ。元々今日の朝はゆっくりの予定だったから、それまでじっくり愛し合おう」
「そういう問題じゃ……っあ……」
くすぐるような手つきで脇腹をなぞられ、鼻にかかったような声が漏れてしまう。俺の反応に気を良くしたらしい瑠夏の触れ方はどんどんと大胆になっていく。寝起きにも関わらず俺を煽っていく手つきはいつもと少しも変わらない。すぐに俺の体も熱くなり、瑠夏の求めを受け入れる準備を始めてしまう。背中に手を回ししがみつくと、嬉しそうに笑った瑠夏は深く唇を重ねてくる。
「んっ……はぁ、瑠夏……っ」
「ふふ……ほら、こうして触れるとすぐ甘えてくる。本当にジャックはキミに似ているよ」
「あっ、待て、瑠……っは!」
「でも、ここまでボクを煽る甘え方はしてこなかったな」
「あぁ……っ、あっ……!」
こうなってしまえば、もう俺はこの男に逆らうことが出来ない。熱くなった肌を触れ合わせ、互いに昇り詰めていくだけだ。瑠夏の言うゆっくりの朝が具体的に何時のことかはわからないが、数時間は付き合わされることになるのだろう。呆れながらも、ぞくぞくとするような期待が身を震わせる。この体はもうすっかり瑠夏に抱かれることを喜びに感じてしまうようになってしまっているらしい。
猫が消えたら瑠夏は悲しむだろうか。他の奴らも残念そうな表情を浮かべる姿が容易に想像できる、霧生はどうかしらないが。猫として過ごす時間も悪いものではなかったかもしれない、まあ、もう2度とご免だが。室内飼いの猫では、瑠夏を守ることが出来ないのだから。
猫だった頃の自分を思い返していたがその内そんな余裕はなくなり、
俺はそのまま、瑠夏との行為に溺れていった。