鼓動は確かな熱を知らせる
一人になると、考えてしまうことがある。考える度にくだらないと自己嫌悪に苛まれるような、妄想だ。離された手をすがるように求め、自らの手を伸ばせばよかったのか、と。
瑠夏は、あの日以来俺を抱かない。俺に悲痛な色を含んだ言葉を向けそのまま部屋を出ていった、あの日から。しかしあの瑠夏のことだ、俺を抱かなくなったといって相手には困らないだろう。気が多く奔放な男、欲が強く、気に入ったものは自分の懐に抱かなければ気が済まない。
それでもどこかで、一番に選ばれたのは自分だと思っていた。頻繁に抱かれるという事はその間は少なくとも俺以外に手を出していない、あの男を、俺が独占しているという事だ。瑠夏のお気に入りである自覚はあった、そうでなければわざわざ俺を檻から連れ出しはしなかっただろう。
逃がさないと、自分のものだと強い瞳で見つめながら言った瑠夏の執着を……俺はどこかで心地いいと感じてはいなかったか。優しくなっていく瑠夏に苛立ち、霧生を迎え入れた事が気に入らず……本当は、俺以外を、
「――っ!」
ボロいビルの窓に握った拳を叩き付ける、薄くなっていたガラスは簡単に割れてしまい破片が手を傷つけた。いくつかは深く刺さってしまったのかそこからだらだらと鮮血を垂らしていく。足りない、こんな痛みでは思考を散らせない、枠に残っている尖ったガラスの破片を折ると、傷ついていない手に持ち壁についた逆の手へ思いっ切り突き刺した。
「っ、ぐ……!」
痛みに意識が飛びそうになる、ガラスを抜けば大量の血が溢れ出してきた。ガラスを持っていた掌や指からも血が流れ出し、床はあちこちが赤く染まっている。ぼたぼたと流れていく血を眺めていると、流しすぎたためか意識がぼやけ身体が冷えていった。
これでいい、これで余計な事を考えずに済む。しかし動けなくなる前に屋敷に戻るべきだろう、もうここでの仕事は済んでいる、さっさと戻らなければ妙な勘繰りをされても厄介だ。首に巻いているマフラーを裂き両手に巻き付けると、そのままコートのポケットへ突っ込む、痛みは段々と麻痺し始めていた。
重くなっていく身体を引き摺るようにして屋敷へ戻る。自分の部屋に辿り着くまで誰にも会わなかった事は幸いだった、ここには無駄なお節介焼きが多い。
ドアを開けるためあまり傷ついていない手をポケットから出す、それでも巻いた布にはうっすらと血が染みてしまっていた。この分じゃ逆の手はもっと酷い事になっているのだろう、そちらには視線を向けずドアノブを握ると、それだけで傷だらけのそこはずきりと痛んだ。無理矢理力を込めノブを回しドアを開く、部屋に足を踏み入れようとしたところで、遠くから俺の名前を呼ぶ声が聞こえる。
聞き覚えのある声に、それでも無視する事は出来ない自分を呪う。首だけを声の方へ向ければ、金色の髪を揺らした大柄の男が俺の方へと歩いて来ているのが見えた。タイミングが悪いと小さく舌打ちをし、ドアノブに触れていた手をまたポケットへ戻す。
「JJ、戻っていたんだね。ボクも今戻ったところだ」
「……あぁ」
スーツ姿の瑠夏は俺に近付いてきながらやわらかい笑みを浮かべる、あまり近付かれると血の匂いに気付かれるかもしれないと1歩身体を引けば、瑠夏は少し悲しげに眉を下げ歩みを止めた。俺の行動を自分への拒絶と取ったのだろう……今更、どうでもいいことだが。
「……仕事は、無事に終わったかい?」
「問題ない……もういいか?少し疲れているんだ、休みたい。報告は後でアンタの部屋に行く、それでいいだろう」
「問題なかったのなら報告はいつでも構わないけれど……JJ、キミ少し顔色が、」
「――っ、触るな!」
伸ばした瑠夏の右手は、頬に触れる直前で戸惑ったように止まった。俺自身も自分の大声に驚いていた、近付かれれば怪我がバレるかもしれない。しかしそれより強いのは、この男に触れられたくないという感情。
触るな、触るな、他の男を抱いている手で俺に触れるな。名前を呼ぶな、優しくするな、アンタの全てが、俺は……
「……JJ……」
「……もう、いいだろ。さっきも言ったが、俺は休みたいんだ」
「……」
なかなか去ろうとしない瑠夏に苛立ちを隠せなくなっていく。どうして俺に構うんだ、考えたくなどないのにアンタは勝手に俺の中に入り込んでくる。そして考えれば考える程、気付きたくもない事に気付かされる。
俺にとっては、たった一人だということに。瑠夏にとっては、大勢の内の一人だということに。
痛みが足りない、だから余計なことを考えてしまう。ポケットの中の手をきつく握りしめると鋭い痛みが戻ってくる、激痛に歪みそうになる表情を瑠夏に背を向けることで隠し、きっと傷ついた表情をしているだろう男が諦めてこの場を去ってくれるのを待った。背後で動く気配を感じてほっと息を吐いたのもつかの間、熱が、俺を包む。
「なっ……!」
「JJ……」
後ろから抱きすくめられ、耳に熱の籠った吐息と共に名を呼ばれた。体を捩り逃げようとすれば、回された腕の力が一層強くなる。逃げないでくれ、と、瑠夏には似つかわしくない弱々しい響きで囁かれ、身体が固まってしまう。
この男で知っているのは、傲慢な支配者のような姿に、うってかわってぬるま湯のように優しい姿。どちらでも変わらなかったのは人の上に立つものが持つ自信に溢れた態度だったが、今の瑠夏にはそれが感じられない。何を俺に求めているんだ、誰だっていいくせに。
「離せ……っ!」
「キミが楽になると思って離れたんだ、償いのつもりだった、それが……」
「っ……」
「……自分でやったのか?」
「……」
「……どうして、こんなこと……」
回されていた手が俺の腕を掴み、無理やりポケットから引っ張り出す。痛みで顔を歪める俺に構わず両手を持ち上げ壁に押さえつける、左の掌から血が腕を伝っていく感覚に、ポケットの中の惨状を思って舌打ちをした。視線を向ければコートのポケットには赤黒く染みが出来てしまっている、瑠夏はこれに気付いたのか。
「JJ、とりあえず手当をしよう。ボクの部屋に来るんだ」
「……」
「意地を張っている場合じゃないだろう!」
突然の怒鳴り声にびくりと身が竦む。瑠夏の表情は露骨な苛立ちを浮かべていて、俺の腕を掴み直すと引きずるようにして歩き出す。血が流れすぎたせいか頭がぼんやりする、抵抗するのすらめんどうになり、俺はされるがままに瑠夏の部屋に入りソファーへと座らされた。
救急箱を手にした瑠夏は布を解いた俺の手を改めて見ると眉を顰める、貫通してはいないものの、深い傷からは休むことなく血が流れ続けていた。最初の頃より少し勢いは落ち着いただろうか、それすらよくわからない。ただ、揺らぐ。意識が、思考が、この男への感情すら揺らぎそうになる。
縫わなければだめだろうな、と止血をしながら瑠夏が呟いた。俺の手をガーゼと包帯で包んだ後、医者を呼んでくるよと言って立ち上がった瑠夏に「そこまではしなくていい」と言ってから自分も立ち上がり部屋を出て行こうとする。その腕を先程と同じように強い力で掴まれ、痛みに顔を歪めた。
「何だ、手当ては済んだんだろう」
「あくまで応急処置だ、これ以上血を流せば命に関わるかもしれないし……そうじゃなくても、神経を傷つけていれば後遺症が残るかもしれない」
「……そうしたら、俺はお役御免だな」
「何を……言っているんだ?」
「仕事にも、性欲処理にも使えない奴なんて、ここに置いておく道理はないだろう?」
「っ……JJ!」
身体を反転させられ、両腕をがっちりと掴まれた状態で瑠夏の正面へと立たされる。見上げれば怒りと悲しみが綯い交ぜになったような瞳が俺を真っ直ぐに捕えていた。この男のこんな表情も珍しいなと、どこか他人事のようにそれを眺める。苛立ちは血と共に流れていったのか、文字通り頭が冷えたというような状態で瑠夏を見つめればその先の瞳は泣きそうに揺らいだ。
ざわり、と心が騒ぐ。アンタのそんな表情は、見たくない。
「組織を、抜けるつもりか?」
「……」
「そんなに、ボクの傍に居たくないのか」
「いっ……!」
腕を掴む力が増す、骨が軋むほどの強さに思わず声を漏らすと、瑠夏は唇同士が触れそうな程顔を近付けてきた。間近で見た青に、思わず目を奪われる。
肉食獣が唸るときのように低い瑠夏の声、相手を支配しようとする鋭い瞳、異常なまでの執着を示すような腕を掴む力の強さに、口元が緩みそうになった。今の瑠夏は俺の事しか見えていない、考えていない。大切にはしてもらえない代わりに、独占欲で縛られる。
「ここを出て、どうするつもりだ?生きていく術など無いだろう?それに……」
「っ……ん、う……!」
無理やり唇を重ねられ、隙間から舌が割り込んできた。こちらを気持ち良くしようという意思の感じられない無遠慮な舌の動きに、それでも長く触れられていなかった身体は勝手に熱を上げていく。ぞくぞくと覚えのある感覚に纏わりつかれ、身体が崩れそうになった。
「……組織を抜けるということは、キングシーザーを敵に回すということだ。身を隠して生きていくのか?それとも警察に頼る?」
「……それも、いいかもしれないな」
「また檻の中に戻る気かい?無駄だよ、警察の中にもキングシーザーの目はある」
「はっ……警察とは、馴れ合わないんじゃなかったのか?」
「馴れ合う?誰が……彼らは気付いていないさ、自分達の背中を任せている仲間に、マフィアが居るなんてことにね」
だからキミは、どこに行ったって逃げられない、と、濡れた唇が告げる。尊大なまでの態度、それでもまた降ってきた口付けには余裕がなかった。俺の鼻からは甘い声が抜けていき、次の瞬間には膝がガクリと崩れる。身体を支えられるようにして床に座らされると、同じようにしゃがんだ瑠夏は俺の体を包み込むようにして抱き締め、今度はその耳元に唇を触れさせた。
「キミは、ボクだけのものだ……離したのは間違いだったよ、もう二度と、そんな愚かなことはしない」
「っ……」
「誰にも渡さない、誰にも触れさせない……たとえキミが嫌がってもね」
切羽詰まったようなその言葉を熱い呼気と共に吐かれ、俺は小さく声を漏らした。血が抜けて冷えていたはずの身体は内側からの熱に体温を上げていく。瑠夏は傷の深い俺の手を取ると掌に口付けた、まだ止まっていない血が染みている包帯越しに、柔らかい感触が伝わってくる。そうしてもう片方の掌にも、同じように口付けてきた。
「この掌も……髪の毛の1本すら全てボクのものだ……勝手に傷つけるのは、キミといえど許さないよ」
「……自分の身体をどうしようと、俺の勝手だろう」
「駄目だ。もしキミの身体に傷がつくなら、それはボクの手でなければいけない」
無茶苦茶なことをいう男だ、自分で自分を傷つけるのは駄目で、瑠夏が俺を傷つけるのはいいだなんて。俺が大人しくなったのを見てか、瑠夏は手を離し携帯で誰か……漏れ聴こえる声から判断するにパオロにだろうか、医者を呼ぶよう告げる。通話を終えた瑠夏はまた俺を囲うように抱き締めると、医者を連れてきたパオロが部屋の扉をノックするまで身体を離すことはなかった。
短い時間のひとつも言葉を交わさない触れ合いに、まるでこの世でたった2人きりになったような錯覚に陥る。ほんの僅か、体重を預ければ瑠夏の腕の力が強まった。
大げさな程の治療を終え最低でも今日1日の安静が告げられた俺は、どうしてか瑠夏の部屋のベッドに寝かされていた。自分の部屋に戻ると告げ身体を起こそうとすれば、肩を押されベッドへと倒される。そのまま圧し掛かってきた男に、ざわり、と身体の奥が騒いだ。
「駄目だ、熱が出るかもしれないって言われただろう?ここに居てくれた方が看病がしやすい」
「……自分のことくらい、自分で」
「両手を怪我してるのに?今は麻酔が効いているから痛くないかもしれないけれど、後々痛み出すと余計辛いだろう。おとなしく寝てるんだ、いいね?」
俺にはおとなしく寝ていろというくせに、瑠夏は顔を近付けてくると深く口付けてきた。同時に手は俺の身体を弄り、慣れた手つきで服を脱がせていく。しかしその動きに少し余裕のなさを感じ、視線を合わせてみれば欲に濡れた瞳に見つめ返された。ざわ、ざわ、と、肌が粟立っていく。逃げ出したいのに身体は勝手に先を期待して力を抜いてしまい、満足に動いてはくれない。
「ん、ぅ……っ、止め……!」
「ごめん……久し振りに君に触れたら、抑えが利かなくなった……っ」
「触る、な……っ!」
「っ……JJ……」
触れられれば気付かれてしまうと、必死に身体を捩ったが抵抗空しく服の前を開かれスラックスを下着ごと脱がされる。そうして瑠夏の眼前に晒されたものは、触れられる前から昂ぶっている、俺の、
「ひっ、あ……!嫌だ、離、せ、あっ……!」
「少し触れただけで、もうとろとろだ……自分ではしてなかったのかい?」
「なっ……う、ぁ……も……!」
「あぁ……キミの声、すごくいいよ……興奮する」
瑠夏は熱っぽい吐息を俺の胸へ触れさせると、そのまま舌先で突起を舐め、軽く歯を立ててくる。その感覚に俺のものは更に張り詰め、覚えのある快楽が身体の内を満たしていく。
びくびくと両足を緊張させながら、瑠夏の与えてくる刺激に耐える。何かにしがみつきたくても手はまだ残る痺れで上手く動かすことが出来ない、それでも、このまま流されたくはないと無理矢理腕を上げ、両手を瑠夏の……首へと、伸ばした。
「っ、く……ぁ、あ……」
「……ボクを、殺したいか?」
「ふ、ぅ……っん、あ……!」
瑠夏は胸をねぶる舌の動きも昂ぶりを擦る手の動きも止めない、力の入らない指先で瑠夏の首をやわやわと押す事しか出来ないもどかしさに焦りながらも、身体は与えられる快楽を受け入れどんどん熱くなっていく。流されたくない、抱かれてしまえば自分の口走ったことすら曖昧になる程瑠夏に全てを奪われてしまう。屈辱は快楽に塗りつぶされ、浅ましく男を求めてしまう。
愛するように俺を抱く男に、逆らうことが出来なくなる。
「キミの気が済むのなら……それでもいい」
びくっと、身体が硬直する。今、この男は何と言った?耳がイカれたのでなければ、俺に殺されてもいいなんて、そんな馬鹿げたことを、瑠夏が。瑠夏の表情は揺るがない、真っ直ぐに俺を見つめながら大真面目に、とても信じられない言葉を口にした。
動きを止めた俺の腕を瑠夏が掴み、優しくベッドへと縫い止める。抵抗が出来ない、告げられた言葉が呑み込めず、ただ真意を探るようにその瞳を見つめていた俺の額に、瑠夏は慈しむような口付けを落とした。
「この手が治ったら、キミの好きにするといい。ボクを殺せばキミもきっとファミリーに殺されるけれど、勿論覚悟の上だろう?」
「……アンタ……何を……」
「キミに殺されるのも悪くないと思ってね。キミからそれ程に強い感情を向けられるんだ……あぁ、悪くない」
薄らと笑みすら浮かべそう口にした男に、俺は言葉を無くす。
俺の思う男は、瑠夏は、そんな言葉を言わない。たった一人を選ばない、ましてや自分を殺す相手なんて、そんなものを求めたりしない。俺の気持ちを、求めたりしない。ぐるぐると同じところを回り続ける思考は、後孔に入り込んできた指の動きで強制的に閉ざされた。
「あっ、止めっ……!」
「ん……きついな。ボク以外には、抱かれなかったのかい?」
「あたり、まえ……っ、だろ……!」
「そうだね……抱かれていたら、キミを殺してしまったかもしれない」
「い……っ!」
ガリ、と肩に鋭い痛み、その感覚に記憶がフラッシュバックする。あれはまだ檻の中、この男と初めて会った時いいように心も身体も貶められた、あの屈辱と快楽。瑠夏が俺だけを見ていた、短い永遠。
「あ、あ……っ」
「JJ……?」
「違っ、あ、あぁ……っ!」
入り込んだ指をきつく締め付けながら背を仰け反らせ、俺は熱を吐き出してしまう。瑠夏の言った通り一人でしてはいなかったとはいえ、噛み付かれてイってしまった事に顔へ熱が昇ってきた。腹へと撒き散らしたその白濁を瑠夏は後孔から抜いた指でなぞると、また肩に顔を寄せ先程噛んだ場所を今度は優しく舌で舐めてくる。
「っん、はぁ……」
「……なぁJJ……ボクは、キミの気持ちが知りたい」
「気持、ち……?」
「嫌われているんだろうと思っていた。そうなっても仕方ないことをボクは散々キミに強いたし、ここへ連れて来たことだって。でもキミは出て行こうとはしなかったし、ボクから離れた途端、こうして自分を傷つけた」
肩から顔を離した野獣の王のような男が、俺へ問う。珍しく瞳を揺らし、その先を言うことを恐れるように言葉を選びながら。青い瞳の揺らぎから目が離せず見つめ返せば、瑠夏は目尻を赤く染めた。泣く寸前のような表情だな、と、ぼんやりとした意識の中で思う。瑠夏が泣くところなど想像も出来ないが……母親を亡くした時瑠夏は、泣いたのだろうか。
何故今、瑠夏は泣きそうなのだろうか。
「何を考えている?どうしたらキミは楽になる?ボクに囚われていることが嫌だったんじゃないのか?今まで以上にずっと、キミのことばかり考えていたよ」
「……アンタが、俺の事を?いくらでも代えが利くような相手の事なんて、どうでもいいんじゃないのか」
「そんな訳ないだろう、キミを本当に手放すことになると考えただけで……全く、優しく出来なくなった」
檻の中に居た時にふと見せた優しさの欠片、組織に戻ってからのそれとはまた違ったが、その優しさはどちらも俺を混乱させた。最低な男だと断じる事が出来れば楽になれるはずだった、噎せ返るような濃い密林の香りと硝煙の匂いに纏わりつかれていた時と変わらないと、そう諦める事が出来さえすれば。
記憶の始まりから今までで知ってる優しさは僅かだ、最初に与えられたそれに俺は怯え、拒んだ事を覚えている。慈しみ全てを包み込んでくれそうな優しさを受け取るのは怖かった、あの伸ばされた手を次の瞬間傷つけてしまいそうな自分が嫌で、強く膝を抱いた。記憶の中でいつも少し悲しげに微笑みながら去っていくあの人を、俺は見送ることすらしない。
そのくせ、瑠夏が見せる歪な優しさに縋りたくなったのは何故だろう。心の底から俺を愛してくれたであろう人の手を拒み、強引に掴まれ俺を愛してはくれない人の手を振り解けないのは、何故だろう。
「っ、あ……おい、話をするんじゃ……あっ」
「さっきも言ったろう?もう抑えが利かないんだ……それに、キミはこうしている時の方が素直な言葉を聞かせてくれる」
「何言っ、っう、ぁ……!」
濡れた指がまた俺の後孔へ入り込むと、ぐちゃぐちゃと音を立てながら性急に掻き回してくる。中を擦られる感覚に頭の芯が痺れ、身体は抗いようもなく奥を求めて疼きだした。縋るものを求めるように浮いてしまった手を、薄らと涙で滲む視界の向こうに居る男へ伸ばし……首の後ろへと、まわす。
「……JJ、名前を……」
「んっ、く……っ?」
「ボクの名前を、呼んでくれ……JJ」
散々快楽を教え込まれた身体は、瑠夏の指で簡単に開いていく。どこまでも真っ直ぐに俺だけを見つめる瞳と熱に浮かされたような声に、心すら、解されてしまう。
俺の気持ちを知りたいと言った瑠夏に、何もかも告げてしまいたくなる。自分ですら消化出来ないこの感情に、この男は名前を付けてくれるだろうか。自分以外に触れる瑠夏に憤った理由を、霧生を優しく抱いた瑠夏に苛立つ理由を、
その場面に遭遇したとき感じた真っ白になるような死への望みの理由を、教えてくれるだろうか。
「瑠、夏……」
「もっと……呼んで、JJ……」
「瑠夏……瑠夏、瑠夏……っ、あぁ……!」
指が抜かれたすぐあとにカチャリと金属音、それが何かを認識する暇もなく後孔に焼けそうな熱があてがわれ、一気に貫かれる。性急に押し入ってくるその昂ぶりを内に感じる程に、俺の身体も勝手に昂ぶっていった。抱かれる事もだが、この男に触れられる事は随分久しぶりだからだろうか、興奮が収まらず上手く呼吸が継げない。そのせいで身体は強張ったままで、苦しみに滲んだ涙の向こうで、瑠夏は額に汗を浮かべ眉を寄せている。
傷がついたっていい、痛みと苦しみに苛まれたとしてもこの男から無茶苦茶に求められたいと、その表情を見て感じた。
「っ、はぁ……JJ……」
「く、ぁ……ん……っ」
「JJ……今、ボクに何を求めている?」
「は、ぁ……俺、は……」
「何も求められないのは悲しかったんだ。もしキミが何かを欲しがるなら、それを全て叶えたい」
目尻の涙を掬うように口付けられ、自然と唇が開く。何を求めているかなんて知らなかったはずの心は、奥底に沈んでいた気持ちをようやく見つけた。触れられれば簡単に傷がつくようなそれは、この男だけを求めている。
「滅茶苦茶に、抱いて、くれ」
「J、J……」
「アンタに、求められたい……余裕のないアンタが、見た……っあ、あぁ!」
俺の言葉を最後まで待たず、瑠夏は激しい律動を始めた。ギリギリまで抜かれたそれで深く貫かれ、奥まで瑠夏のもので満たされる。焼けるような熱に中を擦られれば、まるで内側から溶けていくような感覚がした。久し振りの行為だったが不思議と痛みは無い。瑠夏のために開いていく身体が嫌だったはずだ、なのに今はただ目の前の男を欲しがってしまう。もっと、もっとと奥を求めて疼きが止まらない。
「ひっ、あ、あ……!」
「JJ、JJ……っ!」
「瑠、夏……く、あっ!」
「キミの、中……熱い……っ、は、気持ち良すぎて、すぐ果ててしまいそうだ……っ」
激しく求められる程に精神は酷く昂ぶっていく、もっと瑠夏を感じたくて伸ばした腕で強くしがみつき中を締め付ける。瑠夏の漏らす吐息に快楽の色が含まれている事に気付き、それが肌に触れる度にそこからも快感が生まれていった。熱を吐き出したばかりの場所はすっかり張り詰め、瑠夏と同じようにすぐにでも果ててしまいそうだ。奥を求めるような激しい動きにそれは自分が思うより早く、やってくる。
「あ、あぁ……!」
「っ、く……!」
ぼたぼたと、腹に白濁が落ちてくる。同時に中へは瑠夏の欲望が注がれ、奥はじわりと熱を帯びた。お互いに荒い息を吐きながらの短い時間、瑠夏のものは萎えることなく俺の中に存在していたが、またすぐに求めてくる事は無かった。優しく笑いかけてきた男は俺の髪を優しい仕草で撫でながら、額や頬に口付けを落としていく。唇に、と求めるようにまわした腕で軽く引き寄せれば、瑠夏は目元を赤く染めながら噛みつくように口付けてくる。深く貪られ、どちらものかもわからない唾液が口の端から零れていった。舌同士が離れてしまうと、ぼんやりとした喪失感に襲われる。
離れれば、また瑠夏は他の男を抱くのだろうか。瑠夏を見つめれば、その瞳は何かを求めるように揺れた。俺の言葉を、求めるように。
「アンタ、を……」
「……ボクを?」
「瑠夏、アンタを……俺だけのものに、したい」
「っ……」
「俺以外を、抱かないでくれ……霧生にも、他の奴らにも、俺の知らない場所でアンタが触れているんだと思うと痛くてどうしようもなくなる。俺には瑠夏しか居ないんだ、瑠夏も、俺だけを選んでくれ……」
無茶な願いだとわかっている、それでも口にしてしまった言葉は取り消せない。
俺はずっと怯えていた、ぶつけられていた執着が、瑠夏が優しくなるにつれ薄れていくことに。縛られ支配されひたすらに求められていた時間を、まるでなかった事のようにされてしまうことに。首輪を外され、瑠夏から必要とされなくなることに。
2人きりだった時には感じなかった仄暗い感情が膨らむ度に、知りたくないと目と耳を塞いだ。内側を侵していく感情の名前すら知らないままだったが、瑠夏がそれに答えを示してくれる。
「キミ……嫉妬していたのかい?ボクを独占したくて?」
「し、っと……?」
「ボクを、想ってくれて……いたのか?」
「なっ……」
どう伝えればいいんだ。見えていなかった感情が嫉妬だと教えられ、自分がそんな子供っぽい感情に振り回されていた事に気付かされた今。
顔は燃えるように熱い。霧生の存在を許せなかった、優しい瑠夏に抱かれただろう事への言い知れない焦燥と、苛立ち。まるで自分より特別であるかのように感じて、怖かった。瑠夏に触れられる度憎しみが形を変えていく、それがはっきりとした感情になってしまうのが怖くて閉ざしていたものを、あの日揺さぶり起こされた。
答えて、と瑠夏が言う。酷く余裕のない表情で囁いてから、俺を逃がさないようにと強く抱きしめてくる。どくん、どくんと早鐘を鳴らすような心臓の音に、瑠夏が緊張している事を悟った。
「キミを、手に入れたかった。知る度に、抱く度に、もっと欲しくてたまらなかった」
「瑠夏……」
「ボクに、心も預けてくれ。キミと寄り添って生きていきたいんだ、JJ」
真摯な響きに、心臓が瑠夏の鼓動へ音を揃えるように早くなっていく。手を伸ばすことは苦手だ、だから全てを奪ってくれればいい。俺はきっとずっと、瑠夏しかいらなかったのだから。
「あぁ……俺は、アンタしかいらない。瑠夏が求めてくれるのなら……全部、預けてやる」
「っ……は、は……駄目だな、何だか……嬉しくて、泣きそうだ」
「アンタの泣き顔はレアだな、自慢できる」
「こーら……そんなこと、自慢しないでくれよ」
拗ねたような口調でそう口にした瑠夏は、またゆっくりと俺の中で動き始める。最初こそ気遣うように動いていたそれは、徐々に激しい求めへと変わっていった。快楽の波に流される前に、俺はまだ聞いていない答えを求めて喘ぎの間に瑠夏へと問う。
「っ、あ……瑠夏、まだ、答え、を……!」
「っ、ん……答え……?」
「俺、以外を……っは、抱かないで、くれる、のか……っ?」
潤んだ目で睨みつけるようにしてそう口にすれば、瑠夏は極上の笑みを浮かばせ俺に口付けを落としてきた。そして耳元に、艶っぽく掠れた声で囁く。
「勿論、当然だろう?……ボクの愛情は、全部キミに差し出すよ」
「んんっ、ぁ……っ!」
「こうしてキミに触れていいのも、勿論ボクだけだ。2人の間での、絶対違えてはならない約束にしよう」
耳を甘く噛まれ、吐息と声に頭が痺れていく。滲む視界、快楽に惑う思考、それでもどうにか頷くと瑠夏の動きは更に容赦のないものになっていく。それに翻弄されている内に、気付けば意識は闇に落ちていた。
何かが動く気配に目を開く。視線を上げると、安らかに瞳を閉じている瑠夏の顔が見えた。伏せられた金の睫毛が影を落とし、この男はこんなにも綺麗な顔をしていたのかと改めて知る。先程感じた気配は瑠夏が身じろぎでもしたのか、しかし俺の身体はすっぽりとその腕の中に納まり、背中にまわされた手は少しも離そうという意思がなさそうだ。無意識に頭をその胸に預けていたようなので、髪が当たってくすぐったかったのかもしれない。
両手を見れば、激しい行為につい背中を掴んでしまったため解けてしまった包帯がきちんと巻き直されている。あとは傷口が開いていない事を願うばかりだ、正直、上手い言い訳が出来るとは思えなかった。まぁそのときは、瑠夏に任せよう。結局自分からも求めてしまったとはいえ、最初に触れて来たのはこの男なのだから。
「瑠夏……」
小さい声で呼びかけても、瑠夏は目を覚まさない。しかし夢でも見ているのか答えるように「JJ」と呟き、抱き締めている腕の力を強めた。こうして行為が終わった後も瑠夏の腕の中にいられるだけで、目元は熱くなっていく。
不安定な世界で、いつまで居られるかなどわからない。この熱を離したくないと願っても”いつか”は必ず訪れるだろう。
その日が来ても尚、この男の傍に居てよかったと思えるといい。思ってもらえると、いい。
そう願いながら、俺はまた瑠夏の熱だけが感じられるまどろみへと、落ちた。
おわり