やわらかい棺桶
視覚がないというのは、ほとんどのアドバンテージを失っているということだ。残りの感覚で何かを探ろうとしても、普段視覚に頼っている分それはかなり困難なものになる。それでも自分は人の気配を探るのに慣れていたし、物音だけで相手の位置を把握しその命を奪ったことは数え切れない。聴覚、嗅覚、触覚、俺にとってはその3つである程度の代替は可能だった。
「あ……っ、は……!」
ただし、それは自分が冷静かつ正常な状態での話だ。今のように身体を熱くさせられ、肌を這い回る手に翻弄されている状態ではとても相手が何者かを探ることなど出来ない。
視界は真っ暗だ、耳は自分のものが先走りと共に擦られる水音と衣擦れの音、首に付けられた首輪から伸びる鎖が鳴る音と自分と相手の呼吸音を聞き取り、身体は見えない指が好き勝手に与えてくる刺激で大げさなまでに跳ねてしまう。
鼻はほとんど機能していなかった、むせかえりそうな程濃密な何かの花の香りが嗅覚を麻痺させてしまっていたからだ。自分が寝かせられているベッドからは特に強く花の香りがしていた、後ろ手に括られている腕に時折触れるものが、きっとその匂いの元の花なのだろう。
人の視界を覆い、花がばらまかれたベッドへ寝かせ、好き勝手に俺の身体をまさぐる。悪趣味というよりは、どこか狂気じみたものを感じた。
「やめっ、あっ……!」
胸の突起を強い力で摘まれ、痛みとじんとした快楽が生まれる。擦られている自分のものがさらに張り詰めていくのがわかって身体を捩りその手から逃れようとするが、つけられている首輪はどこかに繋がれているらしくジャラリと鳴った鎖が俺の身体をその男の側から逃がそうとはしてくれない。うつ伏せで倒れている俺の首元に熱い息が触れる、そしてすぐそこに強い痛みが走った。
「っあ!」
皮膚が破れ血が流れ出す、多分俺に覆い被さる男が加減せずに噛みついてきたのだろう。かなりの傷になってしまっているだろうことは見なくてもわかった。
これは、今逃げようとした俺に対する罰のつもりなのだろうか。ズキズキと痛むそこを今度はぬるりとしたものが這っていく。多分舌だろう、まるで流れる血を舐めとっていくようなその動きに俺はようやく恐怖を感じ身を震わせた。狂っている、この男が恍惚の表情を浮かべその血を舐めているだろうことを想像しぞくりと悪寒が走る。
死ぬことへの恐怖ではない、今俺に触れている男はきっと俺を殺さない。殺さずにまるで棺桶のように花が散らばるこのベッドの上で、飽きるまで好きに嬲られるのだ。数日、数年……もしかすると、死ぬまで。
こんな状態でも触られ続け張り詰めたものはびくびくと反応し、今にも熱を吐き出そうと昇り詰めていく。シーツにしがみつきどうにか耐えようとするが、男の手はより強く俺のものを擦り上げ、熱を吐き出させた。
「あぁ……っ!いや、だ……あ、ぁ……」
目隠しは取られない、永遠に暗い世界で誰とも知れない男に身体を好き勝手にされる。考えただけで気が狂いそうだった。後ろへと濡れた指が入り込むと、その異物感に体が硬くなる。これからの行為が容易に想像出来てしまい、シーツに爪を立て、鎖が引かれ首が締まるのも気にせず少しでもその男から離れようと、少しでもその狂気から離れようと身体を動かす。
「ボクから逃げるのか、JJ」
その声が耳に届いた途端、全身に冷水を浴びせられたような感覚がした。どうして俺のすぐ後ろから、俺のよく知る声がするんだ。そんなはずがない、あの男はこんな狂気とはかけ離れた太陽みたいな人柄をしているのに。
さっきとは比べ物にならない恐怖が俺から声を奪っていた、いや、問いかけて明確な答えが返ってくるのを恐れただけかもしれない。動けなくなってしまった俺の身体を、つけられた首輪が無理矢理引き戻す。仰向けに倒された身体にまた手が這いまわっていく。その触れ方を、俺を的確に煽っていく指の感覚を、俺は知っていた。
「何、で……」
「逃げるなJJ……キミはボクのものだ、ボクの愛情を全部受け止めてくれると、約束しただろう……?」
「嘘だ……嫌だ、やめっ……!」
大して慣らされてもいない場所へ、熱い昂ぶりがあてがわれる。俺は悲鳴じみた声を上げ覆い被さる身体から逃れようと暴れる。意にも介さず強く俺の身体を抱き締めた男……瑠夏は、そのまま熱の塊を押し込んでくる。無理矢理に広げられたそこは引きつるような痛みを訴え、それでも瑠夏のものを受け入れていく。
「あぁ……あ……」
「JJ……JJ……」
それで、ようやく瑠夏は安堵したような声を発した。自分のものを埋め込みそれを俺が受け入れて、ようやくだ。そのまま動きを止め、まるで縋るように俺を抱き締める。JJ、JJと何度も俺の名前を繰り返し呼びながら。それはさながら壊れてしまったレコードのようだ。
あぁ、瑠夏は壊れてしまったのだろうか。俺に目隠しをし、手を縛りつけ首輪と鎖で繋ぎ、花を敷き詰めたベッドで無理矢理犯す、それはとても常人のとる行動ではない。頭は酷く混乱していた、どうしてこの男はこんなにも壊れてしまったのか、兆候はあっただろうか、俺が気付いていなかっただけでゆっくりと壊れていたのだろうか。覆われた瞼に何かが触れる、呼吸がかかりそれが瑠夏の舌だとわかった。
「ふふ……涙の味がする」
俺の瞼を布越しに舐めながら嬉しそうに呟かれた言葉に、ぞくりと悪寒が走った。心臓の音は強く鳴っているのにどこか遠い。自分のではなく、瑠夏の音がはっきりと聞こえる。一定のリズムで、安心しているときの鳴り方で心臓が動き続けている。それがとても恐ろしかった、この状態で安心している瑠夏がどうしようもなく怖かった。
「瑠夏……何で……」
自分が愚かなことくらい自覚していた。この男を自分だけのものにしたいと最初に願ったのは自分で、その願いを図々しくも本人へと告げた自分はどうしようもなく愚かな人間だとわかっていた。ならきっと、この状況を作り出したのも、自分だ。
「キミがボク以外の奴を見て、ボク以外の奴と話して、ボク以外の奴に触れて……許せなかったんだ」
「何、言って」
「ならJJ、本当にボク以外の男に抱かれていないと誓えるか?こうして目隠しされて、ボクだとわからないうちから感じていたんだ……誓えるわけがない。なあJJ?」
「瑠夏……頼む、話を、」
「黙れ……言い訳なんて聞きたくない」
「瑠夏、――っああ!」
瑠夏は埋め込んだものをギリギリまで引き抜くと、さらに奥を求めるように深く貫いてくる。言葉を口にしようとした俺の喉は、その衝撃に悲鳴のような叫びを上げることしか出来なかった。そのまま無茶苦茶に抜き挿しが繰り返され、瑠夏は本能のままに俺を揺さぶる。こちらの都合など構いもせず、空腹の獣がその飢えを満たすために獲物を貪るような、そんな一方的な求め方。それでも俺の身体は中を擦られていることでどんどん熱くなってしまい、声に甘さが含まれていく。
「くっ、あ……!」
「ほら、また感じてきた……なぁJJ、本当にキミを犯しているのはボクかなんてわからないだろう?キミがボクだと判断しているのは声が聞こえているからだ」
「あっ、ん……あぁ!」
「ボクだとわからないままでも、キミはこうして感じていたはずだ。誰とも知れない男のものを突き入れられ、それでもその男の腕の中でよがっていたんだろう?」
「違っ、あ、あああ!」
瑠夏が深く俺を抉り、最奥へ熱を注いだ。自身のものを抜いた瑠夏は俺の身体を今度はうつ伏せに倒し、尻を高く上げた格好にすると固さの失われていないそれをまた深く突き入れ、激しい抽挿を始める。ぐちゅぐちゅと粘つく水音が耳に響き、瑠夏の出したものが内股を伝っていく。俺のものは触られてもいない内に先走りを漏らし、シーツに染みを作っていた。
「っ……JJ、愛してるよ、JJ、ボクだけの、ものだ……!」
「あぁっ!瑠、夏っ、んんっ!」
耳元に熱い息と共に囁かれた言葉に、俺の身体はぶるりと震え昂ぶりは熱を吐き出す。それで終わるはずもなく、瑠夏は俺を揺さぶり続けた。いつ終わるともしれない行為、それこそ考えた通り死ぬまでここで繋がれたままにされるかもしれない。瑠夏だけが俺を見て、俺に言葉をかけ、俺に触れる。自身を嫉妬深く執念深いと評した男が、その言葉の通りの嫉妬や執着をぶつけてくる。
「んっ、あ、あ……!」
「もう、誰の目にもキミを映させない、誰の声も聞かせない、誰もキミに触れたりさせない……全部、ボクだけがしてあげる」
「はぁ……っ、瑠夏、瑠夏……っ!」
「もっと名前を呼んで……ボクの、ボクだけのJJ……」
太陽のような男が、俺の絶対の存在がそれを求めるのなら、それもいいと感じる。このやわらかい棺桶で、俺は瑠夏のためだけに存在する死体になる。そうすることで瑠夏が安心するのなら、俺はそれを望むことが出来る。守りたかった男の心を壊してしまったのだ、せめてこれ以上崩れていかないように望みを叶えるのが俺の償いになるだろう。
俺の顎を掴み無理矢理口付けてくる瑠夏へ、自分から舌を伸ばす。
見えてもいない瞳は、満足そうに微笑む瑠夏の幻を映した。