幸せを願うには程遠く
胸の奥が揺らぐ感覚、暗い色をしたものが全身に染み渡って内側を侵していく感覚。いつからこんなに強くなってしまったのかはもう覚えていない。目の前に広がる光景は以前と何ら変わりないはずなのに、まるで違うもののように映る。
それがどうしてなのか、自覚している内は大丈夫だろうと自分に言い聞かせながら目を瞑った。遮断された視界の代わりに、今度は耳が2つの声をよりはっきりと捉える。
それでも耳を塞げば今度は全身に触れる気配でその存在を知ることになる、どうしたって無駄だ。
「ははっ、霧生は相変わらずだな」
「ボ、ボス……!いえ……その、失礼します」
1つの足音が近づいてくる、ゆっくりと開いた視界の向こうにはいつもと違い気まずそうに頬を染めながら歩いてくる男の姿があった。俺の視線に気づいたのか、今更のように表情を取り繕い幾分引き締まった表情で退室の言葉を口にし、部屋を出て行った。
そうした後、自分の唯一の存在が俺に言葉をかける。濁りきった感情は、その声で霧散していった。
あぁ、やはりこの男が居なければ駄目だ。居なくなってしまえば、俺を呼んでくれなければ、きっとこの暗い色に塗り潰される。
「ほら、そんな離れた所に居ないでこっちにおいで」
「……あぁ」
言われたとおりに俺を呼ぶ男……瑠夏の元へ向かう。瑠夏は腰かけていた椅子から立ち上がると俺の前に立ち、その胸へ押しつけるようにして抱き締めてきた。伝わる体温と甘い蘭の香りが愛おしく、自分からもその背へと腕を伸ばしぎゅうとしがみつく。
こうしていれば大丈夫だ、自分でも制御出来ないような感情は出てこない。
「んっ……」
「JJ……この後、予定はなかったよね?」
「あぁ……そんなの、アンタが一番よく知ってるだろう」
誘うようなキスを落としてからそんなことを聞く、つくづく性質の悪い男だと思う。「そうだったね」と軽く笑ってから今度は啄ばむように数回唇に触れ、それは徐々に深いものへと変わっていく。
触れ合うのも、抱かれるのも、嬉しい。瑠夏が俺に与えてくれるものならばその全てを零すことなく受け入れたい。俺の服を慣れた手つきで脱がしていく手も、焦らすように肌に触れる指も、唇も視線も声も何もかも、本当に俺だけのものであればいいのにと不可能なことすら願ってしまう。
瑠夏、なあ瑠夏、アンタは違うのか。俺の全てを自分だけのものにしたいとは願わないのか?そんなに欲深い感情を持つ俺がおかしいのか?恋人という名を与えられて尚物足りなさを感じてしまう俺は、おかしいのか?
「JJ……?何を考えているんだい?」
「っ、あ……アンタの、こと、だけだ……んっ」
「……なら、いいんだ。今だけでも、ボクのことだけを考えていて……」
飢えた野獣のように俺を求める瑠夏。貫かれた場所に痛みはなく快楽だけが全身を支配している。触れ合う肌はどちらも熱く、それすらも快感として拾っていく。
今だけ、なんて、そんな訳はないだろう。いつだってアンタのことを考えている、傍に居ないときは特に強く瑠夏を想う。瑠夏はどうなんだ?と問いたくても、返ってくる言葉が怖い。瑠夏はマフィアのボスだ、四六時中俺のことばかり考えているわけにはいかない、そもそも、
瑠夏と俺の間には埋められない温度差があるといつも感じている、から。
「や、あ……っ!瑠夏、瑠夏……!」
「っ、は……JJ……!」
肌をいくら重ねても、愛の言葉を囁かれても、どこか虚ろだ。瑠夏の本心だとは思う、けれどこの男は愛を与えることに慣れすぎている。俺にとって瑠夏は唯一だが、瑠夏にとってはきっと違う。俺が唯一であってはいけない、その懐に沢山のものを抱えている瑠夏が、俺を特別として選んでくれただけで充分だと何度も自分に言い聞かせる。
けれど、そんなものは誤魔化しだと、嘲笑う自分も確かに存在していた。
「おいJJ、何突っ立っているんだ、いくぞ」
「あ、あぁ……」
霧生と組んで仕事をするのは久しぶりだった、療養している間は俺が請け負っていた瑠夏の身辺警護も今では霧生に戻されている。仕事は仕事だ、俺は元々誰か1人を守るのには向かない性格をしているし、俺が瑠夏を守りたいと思うなら違うやり方のほうがいい。何年も瑠夏の傍に居て瑠夏を守るために尽力してきたのなら、傍に居るのはこいつの方がいいだろう。
言い訳、言い訳、言い訳。そうしてどうにかこの暗い感情を隠さなければ。今は傍に瑠夏が居ない、俺を落ち着かせてくれるあの声は届かない。うまくやり過ごさなくてはいけない、そうでないと俺は、
「……JJ、今からそんなに殺気立つな」
「……は?」
「確かに今日の任務は少しやっかいだが……俺とお前なら問題ない」
少し照れたように、そしてそれを誤魔化すように素っ気なく言い放った霧生はそのままずんずんと先を行く。霧生が言うには意外すぎる台詞に俺はしばらく動けなかったが、はっと我に返り早足でその後ろを追いかける。
随分と、信頼されているようだ。自分が居なかった間ボスを守っていたことがこの男にとっては評価に値するものだったのだろうか。それは嬉しくもあり……どこか、不快だった。
この男にとっても、瑠夏は唯一だ。いつだって瑠夏のために動き瑠夏のことを最優先に考えている。どうしたって埋めることの出来ない瑠夏と共にしている時間の差が、そのまま俺と奴の差に思えて。
無意識に、ベレッタに触れている自分に気づき焦って手を下す。霧生は気付いていない、俺が後ろで銃を手にしようとしていたなんて思いもしていないのだろう。それだけ気を許してくれている相手に、俺は、何をしようとした?銃を手にして、構えて……あぁ、そうか。気付いてしまったんだその差を埋めるたった一つの方法に。
今ここで霧生が死ねば、そこで奴と瑠夏が共にする時間は終わる。その内俺と瑠夏の共にする時間の方が長くなる、そんな狂った考えに、気付いてしまった。
「……霧生」
「ん……?何だ」
「……いや……さっさと終わらせるぞ」
「言われなくてもそのつもりだ。ほらさっさと行くぞ」
どす黒い感情は血の香りを連れて俺の全身を支配していく、それを飼い慣らすことは出来そうにない。目の前の敵を殺すことにのみ集中しなければ、きっと俺の銃口はその感情が示すまま、1人の家族の心臓を狙ってしまっていただろう。
屋敷に戻ってから、俺は早足で瑠夏の部屋へと向かう。霧生は別の仕事が残っているのだからそっちを片づけて来いと無理矢理別れ、1人で扉をノックし返事も待たず中へと入る。視線の先には、少しだけ驚いた様子の瑠夏の顔。その姿を見ただけで、俺は全身が崩れ落ちそうになる程の安堵を感じていた。閉じたドアに寄りかかるようにしている俺を見てか、瑠夏が心配そうな色を含んだ声で俺の名前を呼ぶ。傍に駆け寄ってきた瑠夏に、俺は縋るように抱きついた。
「JJ……?まさか、どこか怪我でも……」
「違う……いいから、少しこのままでいさせてくれ……」
自分でもわかる程に口から出た言葉は切実で、瑠夏も言葉を途切れさせ代わりに優しく俺を抱き締めてくれる。瑠夏の少し高い体温、緩やかに鳴る心臓の音……俺を心配しているからか、いつもより少し速い気がした。慣れた蘭の香りも、部屋に入った時よりずっと強く感じる。
自分が恐ろしくなった。霧生の信頼、それによって生じる油断を突いて殺せてしまう自分が怖くてどうしようもない。霧生を殺したいわけじゃないんだ、いがみ合うことも多いがあいつだって家族で、俺も背中を任せられるくらいには霧生を信頼している。それなのにどうして俺は、あのとき、
「瑠夏……瑠夏、俺は……」
「……JJ、落ち着いて……大丈夫だ、ゆっくりでいい」
「俺は、アンタが……なのに、何で……」
「……ソファーに行こう、JJ。座って落ち着いたほうがいい、ボクは傍に居るから」
そう言って瑠夏は俺を支えながらソファーに腰掛ける。少しだって離れたくないという俺の気持ちを察してくれたのか、そのままでは動き辛い筈なのに瑠夏は俺から離れることはなかった。俺は瑠夏の身体に強くしがみつき少しでも安心を得ようとする、それに今はこの両手を何かに預けておきたかったから、どちらにとっても都合がよかった。
瑠夏は泣きじゃくる子供をあやすような仕草で俺の背中を撫でる、その度ゆっくりと心の淀みは流れていく。強い力でしがみつかれて苦しい筈なのに、瑠夏は何も言わずただ俺をそのぬくもりで包んでくれていた。
瑠夏が居なければ、駄目だ。いつの間にこうなってしまったのだろう、居なければ落ち着かず不安で、そうさせる要素を失くしてしまいたくて。今回は踏み止まったが次は分からない。霧生が俺の気配に気付いてそれより早く俺の頭を撃ち抜いてくれればいいが、あいつもあれで家族には甘い。きっと俺の殺気が自分に向けられていたなど考えもしていないだろう。
「瑠夏……瑠夏……」
「JJ……どうしたんだい?キミは、まるで何かに怯えているようだ」
「瑠夏……もっと、アンタを感じたい……瑠夏……っ」
縋りつく腕の力を緩め、噛みつくような勢いで瑠夏の唇に口付ける。間近にある瞳は少し驚いたように開き、それでもすぐそれに応えるよう俺の後頭部を押さえると、更に口付けを深くした。求めるように薄く開いた唇から瑠夏の舌が入り込み、俺のそれと絡ませてくる。ゆっくりと身体をソファーへと倒され、何度も唇を重ねながら貪欲なキスを繰り返す。
思考が溶け、身体の全てがこの男を求め始める。自分の全てを優しく平らげる存在にこの身を委ねてしまえることがどうしようもなく幸せだ。抱かれている間は、包まれている間は、暗い色をした思いを感じることはない。
「JJ、震えているよ……本当に、どうしたんだい?」
「っ……少し、不安になっただけだ……アンタが居れば大丈夫だから……抱いて、くれ」
懇願するように見上げると、心配げに揺れていた瑠夏の瞳に獰猛な色が混ざりだす。また自分から口付けると、それはさらに濃くなり、雄の色気が増していく。それを感じ取り、俺の身体も熱を高めていった。
服を全て剥ぎ取られ、瑠夏の指が、唇がくすぐるように肌を撫でていく。弱いところに触れられる度、身体は小さく跳ねてしまう。
「今日のキミはすごく敏感だね……」
「っ、あ……瑠夏、もっと……」
「っ……それに、すごく欲しがりだ……いいよ、とびきり優しくしてあげる……」
胸の突起を優しく弄られ、じん、と甘い痺れが全身を巡る。外気に晒されたものがどんどん熱を持っていくのがわかり、自然と腰が浮いてしまう。俺の反応に気付いてか、瑠夏は俺のものにそっと手を触れさせ、ゆるゆると刺激してくる。喉から出ていく声に一層の甘ったるさが増し、しがみついている両手に力がこもった。
「あっ……ん……っ」
「もうとろとろにしてるね……そんなに気持ちいいかい?」
「や、ぁ……いい、から……も、早く……!」
焦れったく、俺は瑠夏のものを自分の太股で擦るようにして触れると、そこはすでに熱く昂ぶり俺を求めていた。瑠夏は小さく呻きを漏らす、そこに含まれる色香は壮絶で、俺はその声に耳すら犯され身体を震わせてしまう。
俺の漏らした先走りで濡れている瑠夏の指が、後ろへと滑る。周りをなぞるようにぐるりと撫でながら、妖しい表情で俺の顔を覗き込む。
「随分大胆なおねだりをするんだな……もう、ここに欲しい?」
「っん……欲し、い……瑠夏が、欲しい……っ」
「っ、そんなに素直にねだられたら……ボクも抑えられそうにないよ」
瑠夏は指を挿し込むと、性急な動作で中をかき回す。それでも痛みがないのは、その指の動きが決して乱暴ではないからだ。瑠夏の長い指が中の感じる部分を擦りあげ、内側からも俺を快楽で溶かしていく。限界へと追い詰められ身体を固くする俺を見てか、瑠夏は同時に前を強く刺激した。内と外の快楽がぶつかり、頭が白くなるような感覚のまま俺は熱を吐きだした。
「あぁっ!……は、あ……」
「大丈夫かい?……泣いている」
目の端から零れ落ちそうになっていた涙を、瑠夏の舌がすくいとる。その刺激にさえ快楽を見つけ出し身体を震わせる俺を見て瑠夏も煽られたのか、指を抜くと自分の前をくつろげ、熱い昂ぶりを取り出す。あてがわれると、それだけで内部は熱く轟いた。この男に貫かれたい、俺がこの男のものであるという証明が欲しい、この男が俺を求めているという、証拠が、欲しい。
「あ……あ……っ」
「っ……く……JJ、焦らないで……ね?」
「瑠夏……あ、瑠夏……!」
力を抜けない俺に何度も口付けを落としながら、瑠夏はゆっくりと自身の存在を埋め込んでいく。貪欲なそこは何度も瑠夏のものを締めつけながら、奥へと誘うように収縮する。圧迫感より遥かに強いのは、瑠夏に抱かれているという満足感だ。広げられる痛みすら、安心の材料として胸に沁みていく。
瑠夏の傍に居なければ、瑠夏がこうして俺に触れてくれなければ、俺はまともでいられなくなってしまった。それでもいつか、そんなアンタすら俺は裏切るのだろう。家族殺しの罪を犯して、アンタに俺を殺させることになるだろう。それが、この優しい男を酷く傷つけることはわかっている。ただ失うことと、自分の手で失うことは似てるようで全く違う。
それでも、俺はそれより先に自分を殺すことが出来ない。恐ろしくなってしまった。死ぬことより、瑠夏の傍に居られなくなることより、ただ、
今俺が与えられているものが他の誰かのものになることが何よりも恐ろしく、そしてそれになりうる相手を殺してしまいたい程に、
「JJ……?」
「っあ、ん……瑠、夏……っ?」
「苦しいかい……?辛そうな顔をしている……」
ゆっくりとした揺さぶりを止め、俺を気遣ってか埋め込んだものを抜こうとする瑠夏に、俺は焦ってしがみつく。両手を瑠夏の背中に回し、両脚で瑠夏の身体を挟むようにして絡ませ、自らまた奥へと招き入れる。奥を突かれたことで喉の奥からは甘ったるい声が漏れ、更に強く瑠夏に縋りついた。
「っ……!JJ……?」
「抜く、な……あっ……!もっと、何もわからなくなるくらいに、して、くれ……!」
中の存在が更に張りつめたのを感じ、俺は煽るようにそれを締め付ける。少し迷う様子を見せていた瑠夏もその刺激で理性を崩されたらしく、詰めるような息を吐いてから激しい抜き挿しを始めた。内部を強く擦られ、同時に前を扱かれると意識が焼き切れそうな快楽が襲いかかってくる。俺は喘ぎの合間に何度も瑠夏の名前を呼び、瑠夏も苦しげに俺の名前を呼んだ。
憎みたくない、アンタが大切にしている奴を、俺を信頼してくれる奴を、どうして殺してしまいたいと願うんだ。そんな自分にこそ銃口を突き付け、殺してしまえばいいだろう。
「あっ、あ……!瑠夏、もっと、あっ、あぁっ……!」
「JJ……っ、JJ……!」
瑠夏、俺の唯一。もし俺がまた霧生を殺そうと願ったら、それより早くアンタが俺を殺してくれるだろうか。そして残され傷ついたアンタは霧生に縋るだろうか。
あぁ……そんなこと、許されない。
「――っ!……J、J……?」
「瑠夏……っ、あ……ずっと、俺だけを、見ていてくれるか……?」
「あたりまえだろう?そうキミと約束した。どちらかが死んだって、それを違える気はないよ」
「あっ……絶対、だ……瑠夏、俺だけを……っ」
血が滲むほどに強く噛みついた肩口に今度は舌を這わせ、舐める。この傷が残ればいい、痕になって、俺の存在を嫌でも思い出すといい。俺を殺したことに深く傷ついて、それでもこの傷が今日の言葉を思い出させるといい。
瑠夏、瑠夏、と、口に出しながら心でも名前を呼ぶ。限界が近づき震える俺を強く抱きしめながら、瑠夏も中を深く抉り昇り詰める。強すぎる快感に耐えられず俺が熱を吐きだしたすぐ後、瑠夏も奥へと欲を注ぐ。これが何かの証になれば、きっとこんな醜い思いを抱かなくて済むのだろう。
零れた涙は快楽の名残か、それともまだギリギリしがみついている正気が流したものか、もう判断がつかない。
俺も強く瑠夏を抱き締めながら、今度は何も考えられない程の快楽の波に溺れていった。