瑠夏×JJ
【ひとりよりふたりきり】
わざわざ怖がるためにホラーを見る、という行為を俺は理解することが出来なかった。それは瑠夏が気の知れた奴らを集めホラー映画の観賞会を開いた後も同じで、映画内容よりこの大がかりなシアタールームを作るために一体いくらかけたのかという方が気になっていたくらいだ。
ただ、いちいち周囲が望むリアクションを取る霧生を弄るのは楽しかった。部屋に戻る途中にも背中をつついてみたが、流石にやりすぎたようでレッドホークの銃口を向けられた。両手を軽く上げ謝ったが、あそこまで本気の目をすることも無いだろう。本当に愉快な奴だ。
部屋に入り、電気をつけないままベッドに横になり目を瞑る、もう随分と遅い時間だ、このまま寝てしまおう。明日も朝から仕事がある、だからこそ今日は瑠夏の部屋に向かわなかったのだから。
「……ん」
目を瞑った瞬間に瞼の裏で再生された映像に思わず目を開く、意識していないつもりだったが、やたらと何度もおどろおどろしい表情の女を見せられたせいで印象に残ってしまったのだろう。
しばらくぼんやりと月明かりに照らされる室内を眺めてから溜息を吐いて立ち上がり、冷蔵庫からペットボトルの水を取り出し一気に胃へ流し込んだ。しかしそのせいで余計頭が冴えてしまったような気がする。
仕方がない、銃の手入れでもしようと部屋のスイッチに手をかけた瞬間窓がガタッと音を立てた。
「――っ!」
懐からベレッタを取り出し窓へと向ける、何かが動いたように見えたが、外の木々が揺れただけのようだ。そもそも自分は何故こんなに焦っているんだ、正体が知れたというのに心音も落ち着こうとしない。
「……ちっ」
セーフティーをかけ直しベレッタを懐にしまう。思わず床に放り捨てたペットボトルを拾い冷蔵庫にしまおうとした所で、その内飲もうと買っておいた酒の缶を2つ入れておいたのを思い出す。
鈍い音を鳴らしている冷蔵庫をしばらく見つめまた溜息を吐いてからそのドアを開いた。そうしてペットボトルをしまう代わりに中の缶を手に持つと、今度は部屋のドアを開き慣れた廊下を歩いていく。そうして着いた先の重厚な扉をノックすれば、待ってましたとばかりにウキウキと跳ねた声が返ってきた。
まんまとだ、そもそも明日が仕事だからというもっともらしい理由でこの男が引いた時点で怪しむべきだったのだろう。それでも扉を開いた瞬間腕を掴まれその広い胸に包まれてしまえば、もう不満など言えないのだが。
「いらっしゃいJJ、待ってたよ」
「……怖かった訳じゃない。一緒に酒でもと、思っただけだ」
「ははっ、意地を張るキミも可愛いよ」
ちゅっちゅっとしつこいくらいに口付けを降らせてくる瑠夏の背中へ、掌の上で踊らされた悔しさごとぶつけるようにきつくしがみついた。持ってきた酒はきっと、開けられることなくそのまま温くなるのだろう。
【終】
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【愛情レッスン】キスの日
「ほら、もう一回」
「まだするのか?」
「するのは嫌?」
「……その言い方は卑怯だ」
クスクスと楽しそうに笑う瑠夏から視線を逸らし、さっきから落ち着こうとしない心臓を少しでも宥める為ゆっくりと息を吐き出す。
俺の腰をガッチリと抱いたまま「JJ」と甘い声でねだってくる男に視線を戻せば、また心臓は痛いくらいに鳴りだすだろうとわかっていた。だからこの行為に意味などないのだが、それでも悪戯に寿命を減らされているような気がして釈然としない。
「……いくぞ」
「ボクとしては、もう少しムードのある事を言って欲しいかなぁ」
腹立たしいくらいに完璧な笑顔でそんな我儘を言ってくる瑠夏は、俺が照れるのをわかってわざわざそういう言葉の選び方をしているのだろう。甘いばかりの時も困るが、こう性質の悪い遊び方をされるのはもっと困る。
「……ムードと言われてもな……」
「ちょっとした事でいいんだよ、愛しているとかキミが欲しくて仕方ないとか、キスしていいかい?とかね」
「直接関係ない気もするが」
「確かに今教えている事とは少しずれるけれど、でも大事なことだよ?」
「……俺に、そこまでは……」
「ははっ、わかったよ。じゃあこれはおいおい、ね。じゃあはい、おいでJJ」
そう言ってぐっと腰を引き寄せた瑠夏に、俺は少したたらを踏みながら近付き、たどたどしく両手を瑠夏の頬へ添えた。顔を近付け触れる直前で目を瞑れば、「ストップ」という声と共にあと数センチで触れ合っていた唇に瑠夏の吐息がかかる。
目を開けばあまりにも近い青の瞳につい顔を引いてしまい、しかし腰から位置を移した瑠夏の両手が俺の後頭部に添えられそれ以上離れることを許さなかった。
「目は瞑らないで、最後までしっかりボクを見て」
「無理、だ」
「ボクは、傍で見るのに耐えれない顔をしてる?」
「いやそんな訳ないだろう……ただ」
「ただ?」
「…………アンタが、見つめてき過ぎる」
この男に真っ直ぐ視線を向けられ、それでも目を逸らさずに自分から口付ける事など出来る奴は居るのだろうか。居てもらっても困るが、少なくとも俺には酷く難しい事だ。その視線だけで、溺れたように息が出来なくなってしまう。
「だって、照れてるキミが可愛いから」
「いいから、目を瞑ってろっ」
そう言って瑠夏の両目を掌で覆うと「乱暴だなぁ」と笑いながらもそれ以上何かしてこようという気は無いらしい。俺はようやくまともに瑠夏の唇に触れると、すぐに離す。
「ん……もう終わり?」
「"今日はキスの日だから、ボクの理想のキスをキミにして欲しい"、とか言いだしたのはアンタだろう。叶えたんだ、もう終わりだ」
唇を離した俺を残念そうに見ながら、それでもひとまず満足はしたようで「まぁ、いいか。うん、ありがとうJJ」と囁き俺をぎゅうと抱き締めてくる男に、俺は長くかかったやりとりがようやく終わった事に安堵していた。
そんなに、この男が甘い訳はないというのに。
「じゃあ次は、ボクが恋人にしてあげたい理想のキスをしてあげる」
「は?い、いい、瑠夏止めっ、んっ」
あっという間に体勢を入れ替えられ、机に押し倒された俺はそのまま好き勝手に唇を貪られる。この男らしい激しく情熱的な口付けに、頭は痺れくらくらとおぼつかなくなっていく。最初からこのつもりだったんだろう、瑠夏にとって最初から最後まで楽しいばかりだっただろうこの日、何度のキスを交わしたか、途中で数えるのも嫌になった位だという事だけは覚えていた。
【終】
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【手加減知らずのMy Darlin' 】
ベッドへ深く沈んだ身体に、瑠夏のものが抜けていく感覚だけがぼんやりと伝わってくる。後を追うように流れ出してくる気持ち悪さに眉を顰めたが、止めたくともそこはすっかり力が入らなくなってしまっていた。
ドロリとシーツを汚す生々しい感覚、とはいえすっかりぐしゃぐしゃなベッドの上にいるのだから今更かもしれないが。
「すっかりベトベトだね、お風呂入り直そうか」
「あ、あぁ…………っ!」
「JJ?」
手で支えながら身体を起こし、膝を立てようとするが思うように力が入らない。無理に立とうとすれば脚はガクガク震え始め、そのまま前のめりに倒れ込んでしまう。顔からダイブしようという時にすら咄嗟に腕を伸ばせない程度には、全身が疲弊しているらしい。
「……悪い、立てそうにない」
俺がまたぐったりとシーツに身を預けたまま視線だけを向けそう告げると、瑠夏はその様子を見てか苦笑しながら、「あー……ふふ、やりすぎちゃったかな?」と悪びれもせず口にした。
あれでやりすぎていないと思っていたというのが驚きだ、相変わらず底が知れないその口振りに恐ろしさすら感じてしまう。
「わかってるなら加減してくれ」
「それは無理だって、キミも知ってるだろう?」
「……まぁな」
こうした問答は何も今回が初めてではない。……まぁ、ここまで全く足腰が立たなくなったのは今までになかったが。何度言った所でこの男は聞き入れてくれないし、それを受け入れてしまう俺も偉そうなことは言えない。
「よし、じゃあボクが運んであげるよ」
名案が思い付いたとでもいうようにニコニコと迫ってくる身体を押し返すのは今でなくたって難しい。いつの間にやら服を着こんでいた瑠夏は、俺の居るベッドへ再度上がってくる。
「は?い、いや遠慮す」
「遠慮することは無いよ、だってボクの責任なんだから。あぁお風呂でマッサージもしてあげるね、実は結構上手いんだよ?」
「だから遠慮……っ、瑠夏、下せっ」
背中と膝裏に手を添えた瑠夏は、そのまま決して軽くは無いはずの俺をいとも簡単に持ち上げてしまった。同じ男として少し、屈辱だ。
無視されてはいるがきっと俺の言葉は聞こえているのだろう、しかしこの男は一度決めたら譲らない頑固さを持っていて、何もこういうときに発揮しなくてもいいだろうと、溜息を吐きながらその言葉を飲み込んだ。瑠夏の服が肌に擦れる感覚に自分だけ裸のままだという気恥ずかしさを感じながらも、諦めて両腕を瑠夏にしがみつかせる。
こんなときでも瑠夏からは甘い香りがするんだなと、風呂場に着くまでの間、今ではすっかり慣れてしまったその腕の中で目を瞑っていた。
【終】
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【まだ知らないボクへの愛情】
「アンタが好きだ、瑠夏」
「うん」
「俺には、アンタしか居ない」
「うん……」
瞳を不安げに揺らしながら、時折彼はこうして想いをぶつけてきた。言ってとねだれば照れてしまい口にしてはくれない言葉も、このときばかりは切実な響きを持ってボクへ告げる。
どうしてそんなことをするのかと、自分が彼を不安にさせてしまっているのかと悩みはするが、敢えて問いかけない。臆病だからだ。
「……瑠夏……好きなんだ」
「うん……ちゃんと聞いているよ、JJ」
すがりつくように、何かに怯えているように、僕に抱きついてくる彼に、どうしてあげるのが正解なのかはわからない。苦しいくらいに抱き締めて無数の愛の言葉を返してあげるのが良いか、それともただ何も言わず優しくすがりつかせてあげるのが良いか、真っ直ぐにボクを見るその瞳で、キミは何を望んでいるんだ、JJ。
「……瑠夏」
「……うん」
怖いのか、キミは。失うことか失われることか、きっとそのどちらも。ならどうして、どうしてキミは、
「瑠夏……瑠夏……好きだ」
「うん」
どうしてボクに問いかけない。ボクがキミをどのくらい想っているのか、離したくないと思っているか、不安を全て問いに変えてくれれば、その全てに対する答えを用意してあるのに。
ボクに期待をしていないのか、それとも自分にそれを問う程の自信がないのか。苦しいくせに、潰れそうな程重たいくせに、少しだってボクに預けてくれようとはしない。
「JJ」
「……?」
いくらでも出てくるはずの甘い言葉、しかしそれを受け取った彼が喜ぶ未来はどうしても浮かばなかった。途端に喉が詰まる、わかってしまった、心の全てを剥き出しにしてJJに向き合うには、ボクの想いではまだ足りない。きっとボクが知るよりずっと深く、命が軽くなる程に重く、彼はボクを愛していてくれるから。
どうしてあげたらいいだろう、幸せにしてあげたいのに、ただ、喜んで欲しいのに。
「……もっと、言って」
「……」
「もっとボクを好きだと言って、ボクに、キミの愛を教えて」
彼の持つ愛に触れたい、彼のくれる愛を知りたい、そうすればきっと、ボクはキミの愛に追いつける。
「瑠夏……アンタが、好きだ」
そしてきっと、ボクが知るよりずっと深いボクが彼へ向ける想いに、気付ける。
【終】
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【あまいあまぁいモーニング】
携帯のアラームが鳴り始める頃、とっくに意識は浮上していた。そもそも目的は目覚ましではない、アラームを切ると次にやたらと履歴に残っている男の番号を呼びだす。携帯を耳にあてコール音が八回を超えた辺りで溜息を吐き少し体勢を崩した。
慣れない事をしているせいで妙に緊張していたらしい、ベッドへ腰かけたまま壁へ背中をつけるととっくに二桁になっていたコール音がようやく途切れる。
「ん……」
「瑠夏、起きろ朝だ」
「……J、J?何で電話、なんて……あれ、どうしてボクのベッドに、居ないんだ……?」
「寝惚けているな、俺は仕事で一週間屋敷を空けると、そもそもアンタが俺に指示したはずなんだが」
まだ寝惚けている様子の瑠夏に俺は簡潔に今の状態を説明した。思い出すのは不満そうに俺へ仕事の指示をする瑠夏の姿、「断ってもいいんだよ?」と何かを期待する様に見つめてきた瞳に対し「いや、俺がやろう」と素っ気なく返すのは少しだけ胸が痛んだが仕事に私情を挟むべきではない、しかし瑠夏の事だ、俺が断ればこの男はそれを嬉々として受け入れただろう。
「そう……だっけ……」
「そうだ。そして、なら毎朝モーニングコールをしてくれと無理矢理頼んできたのもアンタだ」
「……あー……うん、そうだったね……おはようJJ、今日も愛してるよ」
唐突にはっきりした言葉にガンッ、と後ろの壁に勢いよく頭をぶつける、向こうにも届いたのではないかという音が鳴ったように思ったが、どうやらその鈍い音は電波に乗らなかった様で瑠夏からの反応は無かった。未だ寝起きでぼんやりしているだけかもしれないが。あの男の寝起きの悪さはお墨付きだ、こうして会話が通じているのはまだマシな方だろう。
「……そういう事にだけは、寝起きでも頭が回るんだな」
「キミと話してる内に意識がはっきりしてきたんだよ、やっぱり恋人の声は最高の目覚ましだね」
こっちは逆に気が遠くなったと返してやれば「相変わらず恥ずかしがり屋だなぁキミは」とリップ音まで付けて返された、このまま会話を続けていては朝から胸焼けしそうだ。
「目が覚めたのならもう切るぞ」
「あぁ待って、最後にひとつだけ」
「……なんだ」
「JJからの目覚めのキスが欲しいな」
瞬間通話を切ろうとすれば、「それが無いとまた寝てしまいそうだなぁ」とこちらの行動を見ているかのような言葉が耳に届く。もう充分頭はフル回転している様だが、俺が願いを叶えなければこの男は本当に拗ねて二度寝をしてしまうだろう事は容易に想像出来た。
長い沈黙を気にする事なく待ち続けた瑠夏に、俺は喉の奥からどうにか声を絞り出す。
「……今回だけだ。次があればもうアンタに私的な電話はしない」
「んー……わかったよ。キスをねだるのは今回だけにする」
他の事も要求するなと釘を刺し、数回深呼吸をしてから携帯を耳から離し目の前へと持ってきた。目を瞑り、唇を近付け聴こえるかわからない程に小さな音でキスを送る。
そうして向こうの反応を待たず通話を切った、これ以上はこっちが耐えられない。するとすぐに携帯がメールの受信を伝えてきた、ノロノロとそのメールを開き内容を確認すれば、それは案の定瑠夏からのものだった。
「可愛いキスをありがとう、ボクの愛しいアモーレの為に今日も頑張るよ」とご丁寧にハートマークまでつけられたそのメールに顔の温度が上がるのを感じながらまた溜息を吐く。毎朝これを繰り返す羽目になるのかと思うと、仕事を断るべきだったかという気持ちさえ湧いてきた。
とにかく顔でも洗ってこよう。緩んでしまった気を引き締める意味も込めて、俺は頭から冷水を被り朝の支度を始めた。
【終】
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【涙すら全てを】
男は滅多に泣かない。けれど時々、自分でもそれが頬に触れるまで気付かなかったかの様に涙を零す事があった。人の涙は心臓に悪いのだと俺は瑠夏に教えられたように思う。
ドクンと鼓動が跳ね、思わず傍に寄るが途端どうしていいかわからなくなってしまった。涙を拭ってやればいいのか、見ないで部屋を出ていった方が良いのか、それとも時折俺が寂しそうな顔をしていたと抱き締めてくれる時のように、俺も瑠夏を抱きしめていいのだろうか。瑠夏に深く抱き込まれているときの安心感はとても好きだから、同じものを与えられるのなら。
「JJ……?」
傍に来て突っ立ったままの俺に、瑠夏は自ら涙を拭いながら問い掛けてくる。慌ててその手を掴めば不思議そうな表情を俺に向ける、そのまま手を握り込みながら自分の手の甲で僅かに残っていた涙を拭えば、男は小さく困ったように笑った。
「慰めてくれるの?」
「あ……その、だな」
口ごもる、慰めるというか、ただそれは俺がしたかった事だから、手が伸びてしまっただけなのだから。理由を聞かれる事は嫌がるから無理に話させる事はしないけれど、だからどんな理由でも俺が傍に居ると、伝えたいだけなのに。
「ねぇ、じゃあキミの笑顔を見せて」
「笑顔?」
「そう、ボクが笑えない時は、キミが笑っていてくれたらいい」
それを言う瑠夏の表情は笑っているように見えたが、表面だけで内では無理をしているのかもしれない。この男はきっと笑えてしまうから、そうすることで他人にも自分にも己を強く見せようとするから、もうすっかり身についてしまった癖なのだと、また笑うから。
「……こうか?」
「ははっJJ固いよ、ほらもう少しこう」
瑠夏は空いた手で俺の頬に触れると、口角を上げるように伸ばしてきた。その自分で作った表情が可笑しかったのか、瑠夏は先程までとは違い俺の肩に顔を埋めるようにして大きく笑う。
「はははっ!ごめ、ごめん……っ、こういうのを、目が笑ってないって言うんだろうね、ははっ!」
「瑠夏……元気になったのはいいが、笑いすぎだ」
「ごめん。はぁ、でも、うん、本当に元気が出たよJJ、ありがとう」
瑠夏は未だ固まったままだった俺の手を優しく外すと、息が詰まる程強く空いた両腕で抱き締めてきた。文句を言おうとするが、そのままの勢いで唇までも塞がれる。
涙の味がする、それを瑠夏の口腔から奪うように舌を伸ばし、溜まった唾液をごくりと飲み込んだ。アンタの悲しみも苦しみも、引き受けるのが無理なら俺に分けてくれ。大切に覚えているから。一度離した唇で涙の跡を追い最後瞼に口付けを落とせば、瑠夏は苦しそうに眉を寄せ、俺を抱き締める腕の力を強めた。
【終】
++++++++++++
【キミが見せてくれる世界】
悲痛な叫び、獣の咆哮のようなそれでボクは跳ねるようにして目を覚ました。それが自分の口から出たものだと、いや、夢の中の自分の口から出たものだと気付いたのは、頬を伝う程の汗が冷え、ようやく意識が現実に戻ってきたからだ。
隣に視線を向ければ穏やかな顔で僅かに胸を上下させながら眠るJJの姿を見つけ、ただの悪い夢だったのだと、壊れるのではないかという位に高鳴っていた心臓もゆっくり落ち着いていく。
夢を、見た。酷い悪夢だ、誰かに話せば楽になるというようなものですらない。口に出すのもおぞましい、雑じり気のない純然な悪夢。全ての感触は生々しく残り、忘れる事を許してはくれなかった。悪夢というのは最悪なもの程その形をはっきりと残していくのだと、幼い頃、怖い夢を見たと母親に泣きついた遠い記憶の中で学んだ。
そうしたボクを抱き締めて、手を繋いだまま次は幸せな夢を見れるようにと一緒に眠ってくれた人は、もう居ないけれど。
「……JJ」
まるで子供の声のようだ。起こしてはいけないという理性より、自分の心の拠り所を求めてしまう弱さが勝った。
「JJ」
さっきよりはっきりとした声で呼び掛ければJJは一瞬眉を寄せ、瞼をゆっくりと開いてくれる。それだけで崩れ落ちそうになるくらいの安堵感が襲ってきて、もうきっと彼の前では弱さを隠し切れないと、何もかも見透かすような茶色の瞳を愛おしく見つめた。
「瑠夏……?どうしたんだ」
「あぁ、ごめん、起きなくていいよ。そのままで」
起き上がろうとしたJJを押し止めると、まだどこかぼんやりとした表情のまま伸ばしてきた手がボクの頬に触れる。「暑いのか?」とどこか見当違いな事を言いながら彼の指が頬に垂れた汗を拭ってくれて、目頭が熱くなった。
生きている、夢の中で届かなかった手がこうしてボクに触れてくれる。その優しい手に自分の冷えた手を重ねぎゅうと強く握った。そのままJJの手の甲にキスすれば恥ずかしそうに腕が引かれる。それでも離さずに、引かれるまま彼の上へと倒れ込んだ。
「おい瑠夏」
「何もしないよ、そんな期待されると逆にしたくなっちゃうけどね」
「なっ……していない」
顔を赤くして否定するJJが可愛くて、ボクは口元を緩めて笑う。顔の位置をずらし毛布がずれて剥き出しになっている彼の胸に耳を当てると、少し早い心音が鼓膜を叩いた。この音が止まってしまう、なんて、きっと気が狂ってしまう。
夢の中、ボクへと手を伸ばしながら闇の中へ落ちていくキミの瞳の色は、それより深い黒だった。本物は、もっと綺麗な色をしているのに。
「……このまま眠ってもいいかい?」
「……好きにしろ」
「ありがとう……手、離さないでね」
不器用で、甘えるのも甘やかすのも苦手だと言うJJ。だからこうして彼が許してくれる時、そこにはボクへの愛しかないように感じてたまらなくなる。
キミの手と鼓動が見せてくれる夢はどんな色をしてるだろう、きっと強くて綺麗な、優しい色の世界が見れる。
【終】
++++++++++++
橘×JJ
【サプライズな午前0時】橘BD
「お誕生日おめでとう」
そんなことを普段間違っても自分へ素直な言葉を向けないJJが口にしたので橘は混乱した。最初は聞き間違えかと思いその後はあまりにも自分が望んでいたせいで幻聴が起こったのかと思い、しかし恋人の口が再度その言葉を自分に向けた事で、それが夢幻でないことにようやく気付いた。
「お……おおきに」
鈍い反応しか返せなかったのも仕方ない、橘は昨日一日どうやればJJに祝ってもらえるかばかり考えていて、日付が変わるとともに仕掛けようとしていた事があって、だからこんな風に5月27日0時0分丁度にお祝いの言葉がもらえてしまっては計画の全てがパァなのだから。
勿論祝ってもらえた事は嬉しくて仕方がないが、しかしそれより悪いものでも食べたのかという疑問が先に来てしまう。
「じぇ、JJ……?」
「プレゼントか?俺にセンスが無いのは知っているだろう、明日街に出てお前の好きなモノを買ってやる」
「待って待って待ってぇ!何か怖いわJJ!!」
「……何がだ」
「何でそない素直なん!?俺そんなデレてとるJJ見んの初めてなんやけど!」
JJの肩をがっしりと掴みガクガクと揺さぶる橘、その顔はとても誕生日を恋人に祝ってもらった男の顔ではない。しばらくは大人しく揺さぶられていたJJだが、いい加減我慢の限界だったのか橘の顔を掌で覆うようにガッと掴んだ。サングラスがミシミシと嫌な音を立てている。
「人が祝ってやってるのにどういうつもりだ橘……」
「すまん!悪かった謝るからJJ!手ぇ離してえなサングラス壊れるっ!」
本来ならばしばらくは続くはずの問答も、今回はあっさりとJJが手を離すことで終わりを迎えた。
やはりおかしい、JJがこんなに優しいのはおかしい。いつもならサングラスくらい平気で割るだろう、本当に何があってこんな素直なんだ。そろそろとJJの両頬に手を添え、その瞳をじいっと覗きこむ。目の焦点は合っている、酒に酔っている風でも無い。
「……ほんまに、なんともないん?JJ」
「悪いが正常だ、お前と違ってな」
少しの憎まれ口に安心してしまうのもどうかと思うが、やはりこうして悪態を吐かれた方が自分たちの関係としてはいつも通りで、いつも通り、という言葉が出来上がる程もう長い時間を共にしている事に気付くと自然頬が緩んだ。
「なんや、えらい素直やったから驚いてもうたわ」
「……悪かったな」
頬を少し赤らめて視線を逸らす、やはり恥ずかしいは恥ずかしいらしかった。だとすれば先程のは自分の為に無理をしてくれていたのか、たまらない愛おしさにぎゅうと抱きついても、身体を少し硬くするだけで押し返されはしない。
「可愛いことしてくれるなぁJJ」
「……誕生日くらい、優しくしてやれと……マスターにな」
「あぁ最高や!JJ愛してんでー!!」
「わかったから、そんなくっつくな……っ」
「JJも愛してる言うてーそんくらいのサービスええやろ?」
調子に乗ってそう言ってみると、それでもJJは怒鳴る事も呆れる事もしなかった。もしかしたらの期待に橘の腕の力は更に強くなる。
「……してる」
「……聞こえへーん」
「……っ!知るかこの馬鹿!」
怒った表情のまま殴られる、かと思いきや、歯同士がぶつかるような勢いでJJは橘に口付けた。言葉より行動で示す、JJらしくて悪くない。橘は満足げに目を細め、自分からもその唇を貪った。
多分生涯の中で最高の誕生日だ、明日死んでも後悔は無いくらいに。背中に弱く回ってきた手の温度を感じながら、幸福に身を委ねる橘だった。
【終】
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霧生→JJ
【死に至る憧憬】
ぐらりぐらりと揺れるばかりならばそこに何もないのと一緒だろう、ひとつも確かなものにならず、男へ向ける感情は毎日色も形も変わり忙しなくうつろう。もしこれが名前のついたひとつの感情ならば俺はそう短くはないはずの人生でそれを経験する事も知識として蓄える事もなく過ごしてきた事になる。
奴は恋敵になり気の置けない仲間になり一目見ただけで腹立たしく感じるような嫌悪の対象になり苦しい程の恋情を向ける相手にもなり、自分の大切な人を奪う略奪者でもあった。
内臓の全てを吐き出したくなるような感情をこの男は知らないだろう。空っぽになったならばきっと俺は死んでしまう。ならいっそ、と。
「っ……はっ……!」
そうしてもう何度、殺したか。夢の種類は少ない、手に馴染んだ銃のトリガーを引き、放たれた弾が一瞬でその心臓を撃ち抜く夢か(それでも目を覚ますと眠ってから長い時間が過ぎている)、
男を乱暴に犯しながら口と鼻を塞ぎ窒息させてしまう夢か(触れたことのない奴の身体は気持ち良くそれを見る度に夢精した)、
最も多く繰り返されているのは今のように、両手で白い首を絞めて殺す夢だ。指に、掌に、脈動が伝わってくる。いつも男はもがく事も苦悶の表情を浮かべる事もせず、全てを見透かす様な瞳で俺の姿を映していた。
そうして塞がれている筈の喉で血の気を失った唇で、俺に問いかけるのだ。「何回殺せば満足だ?」と。
「――っ…!!」
その瞬間夢が終わってしまうので、問いかけに答えを返せた事はない、奴が事切れる瞬間も見た事がない。俺の夢の中で男は不死の存在だった、それは感情の中に奴を喪いたくないという恐れがあるからか。殺してしまいたい程の激情とそれは腹の底で混ざりはっきりとした形を成さなくなっていた。
それでいい、俺はその淀みを抱えたまま、奴が奪った人の為に、奴を奪った人の為に死ぬのだろう。
あぁでも、まだ暗い空の向こう、太陽など昇らなければいい、と。
【終】