恋人達の知らないキス

眠気というのは伝染する、それは別に科学的根拠があるという訳ではなく、いわばただの経験論だ。自分の肩へと頭を載せてきた恋人を見ながら、キングシーザーのボス瑠夏・ベリーニは、重みを感じている方とは逆の手で口を押さえながら欠伸を噛み殺していた。
空気の入れ替えにと開けている窓からはやわらかい風の音や鳥の声が聞こえ、木々がさわさわと揺れる音も、重なれば子守唄のように聞こえる。気候も穏やかで昼寝をするには丁度いい日だろう、自然と下がってくる瞼を何度も持ち上げながら、また欠伸を噛み殺した。
ここしばらくはまともな休みが取れず、丸一日のオフは数ヶ月ぶりではないだろうか。だからこそ、このまま眠気に身を任せ昼寝に興じるのが勿体無い事のように感じてしまう。自分が起きてさえいれば、彼が……JJが起きた時一緒に何かをして過ごせる、どこかに出掛けるのもいいし、あぁ料理を作って彼とのんびりと食事を取るのもいい。家族と一緒にというのも捨てがたいが、今日はJJと二人きりで過ごすと、瑠夏はようやくオフが取れるとわかった日にはもう決めていた。

「JJ……」
「ん…………」

声に反応したのか、JJは小さく身じろぎをして、しかしまたすぐに規則正しい寝息を立て始めてしまう。彼にもかなりの期間激務をこなしてもらったのだ、休みになった途端気が抜けて疲れが出てもおかしくない。それにこうして彼が気を抜けるのは自分の傍だけだろうと、瑠夏は自惚れにも似た確信を持っている。誰かが聞けば相当な自信家だと笑われそうな話だが、JJ自身が瑠夏のそんな自信を肯定した、「こんな風にするのはアンタの傍だけだ」と、気恥ずかしそうに視線を逸らしながら耳までも真っ赤に染めて。
それでも、その瞳が自分を映さない事にいささか不満を持ってしまう。もし例え夢の中で自分が彼に会っていたとしても、それは今こうして彼の肩を抱き必死に眠気を堪えている瑠夏・ベリーニではないのだ。
かといってこんなに気持ち良さそうに眠るJJを起こしてしまう程、瑠夏は自分本位な男ではなかった。だからこそ、理性がJJを揺り起こしてしまいたい欲望と静かに閉じられた瞼に口付けたい衝動と、それを全て打ち消してしまいそうな眠気に負けないよう戦っている。

「……駄目だ、負けた」

しかしすぐに、眠気が他の全てを倒し勝ってしまう。睡眠欲は人間の三大欲求の一つだ、簡単に逆らえるなら、自白を強いるために用いられる眠らせない拷問などあるわけがない。
幸い、仕事はここ数ヶ月無茶なスケジュールをこなしてきたおかげで随分落ち着いた。焦らずともまた近い内に休暇は取れるだろう、そのときは家族も連れてどこか旅行にでも行きたい。労う意味も込めて温泉宿辺りがいいかもしれないなと、瑠夏はふわふわと眠りへ向かおうとしている頭で考えながら、隣で眠っている恋人をそっと両腕で抱え上げた。

「ん……っ?瑠夏……?」

流石に起こしてしまったらしい、JJはまだ半分夢の中に居るような口調で瑠夏の名前を呼びながら、またすぐにでも閉じてしまいそうな瞼を開くため何度も瞬きをしている。いつもの少し素っ気ないとすら感じるクールさはなりを潜め、まるで小さな子供のようにすら感じるその仕草に瑠夏は小さく笑うと、額へと優しく口付けを落とした。

「いいよ、まだ眠っておいで。ボクも少し眠りたい」
「悪、い……折角の……オフ、なのに……」
「キミと一緒に昼寝をして過ごすのも、充分贅沢な休日の使い方さ。いいからおやすみ、JJ」

散々思考を巡らせておいて、彼の一言でコロッと意見を変えるなど随分調子がいいと、自分で自分がおかしくなる。
寝室に足を踏み入れ、ソファーから抱きあげた時と同じように静かな動作で、そっとJJをベッドへ寝かせる瑠夏。自分も隣へ横になり薄手の毛布でお互いを包むと、運んできた恋人を大事そうに抱き締めた。

「悪い……埋め合わせ、は……する…………」

瑠夏の腕の中でそう呟いたJJは、またすぐに眠りへと落ちていく。静かだが深く長い呼吸、先程より熟睡している証拠だ。自分が抱き締めている事で余計安心してくれたのだろうかと、先程は彼が気に病まないようにという意味も込めて言ったが、まるで互いへの愛を確認するようなこの時間は本当に贅沢かもしれない。JJに告げれば確実に真っ赤になるであろう考えを巡らせ、瑠夏は腕の中の恋人を愛おしそうに眺める。
その呼吸音を聴いていると更に眠気は増していく、瑠夏もJJに倣うように目を閉じ、意識が剥離していく感覚に身を任せすぐ深い眠りへ誘われた。

「…………」
「…………」

寝室にある小さな窓から入り込んできた風が、二人の髪を揺らす。外の風は少し強くなったのか、忙しなく木々を揺らしていた。太陽は真上に昇り、気付かない程にゆっくりとその位置を下げていく。
眠りが浅くなったのかJJが寝返りをうち、瑠夏へ背を向けるような形になった。瑠夏も無意識にか腕をJJの腹辺りへと移し、浅く抱きしめたまま穏やかな呼吸を繰り返している。
その状態で落ち着いたかのように思われたが、しばらくするとまたJJが身じろぎをし、何かを探すように掌でシーツを撫でるような動作を繰り返した。あったはずの温もりが見つからないのか「ん……」と小さく声を漏らすと仰向けになり、腕を逆側へも伸ばす。すると当然そこで眠っている瑠夏の頭を掠めるが、随分眠りが深いのか身じろぎひとつせず彼は眠り続けていた。
JJはそこにあった瑠夏の髪をくしゃりと掴み、先程までシーツにしていたような動作で撫でると、今度はその手を頬へとずらす。

「ん…………んー……」

五本の指が頬のラインをなぞるように動くと流石にくすぐったさを感じたのか、瑠夏はJJの身体を腕ごとぎゅうと押さえつけ、自分の方へと引き寄せた。夢の中でも恋人を抱き締めているかのように、その表情はどこか緩んでいる。空間が開いたことで少しだけ下がっていた温度を取り戻すためか、その腕はJJを包むように回されもう離さないとばかりに身体同士をぴったりと密着させていた。
まるで抱き枕のようにすっぽり抱き締められてしまったJJは、それでも求めていたものが見つかったようにおとなしく腕の中に収まっている。瑠夏も顔をJJの頭へ擦り寄せると、静かに寝息を重ねていった。

「…………か……」

木々が揺れる音にすら負けてしまうような小さな囁きを漏らしたJJは、最初ベッドへ入った時と同じように、瑠夏と向き合うよう寝返りをうつと首を伸ばす。謀らずもJJの唇が瑠夏の頬に触れたが、眠りに落ちている二人がそれに気付く事は無く、首の向きが変わり今度は頬同士が触れ合った。
恋人達の休日は、そうして穏やかに過ぎていく。







おわり