香る愛おしさ

仕事の報告のため、いつものように入室の許可をもらってからその部屋へと足を踏み入れる。奥に居る瑠夏へと近付きその前に立った時、俺はある違和感を覚えた。

「ん……?」
「JJ?どうかしたか?」

瑠夏はいつも蘭の香りがする。部屋にも同じ香りが漂っていて、部屋の主なのだから当たり前かもしれないが、ここはいつも瑠夏の匂いがするなとぼんやり思っていた。そこに今日は、少し違った香りが混ざっているのに気付く。自分は犬か、と内心呆れながらもその匂いの元が何か辿ろうと周囲に視線を巡らせる。
変化はない、瑠夏自身がこだわったという内装は、俺には到底真似の出来ないセンスの良さで変わらずに在る。なら、と書類を片付けるため椅子に腰かけ机に向かっている瑠夏へ少し顔を寄せた。

「JJ……?」

苦いような、クセのある香り。甘い蘭の匂いの中ではやけに浮いてしまうような強く異端な香りが俺の鼻を刺激した。俺自身は身に纏うことがない、この香りは、

「煙草、か?」
「あぁ、さっき少しね……匂うかい?」
「いや、近付かなければほとんどわからない」
「そうか。ふふ、キミは匂いに敏感だから、余計気になってしまったのかな」

そう笑いながら俺の頬に口付ける瑠夏。そこまで近付くとよりはっきりとその香りを感じる。決して嫌な香りではない、安っぽい煙草の鼻に付くようなヤニ臭さとは違い、やわらかいような苦みを含んだ品の良い香り。瑠夏によく似合う、と思う。

「……瑠夏も、煙草を吸うんだな」

吸っていてもおかしくはない、けれど今まで1度も瑠夏が煙草を嗜んでいる場面を見たことがなかった。勝手に、吸わないものだと思っていたが。
しかし、そういえば瑠夏と初めて言葉を交わした時、火を持っていないかと問われた気がする。あの台詞をさらりと口にするということは、普段から煙草を嗜んでいたのだろう。それにしては、俺が一度もその場面を目にしていないのは不思議だが。それを瑠夏に問えば、「人前では吸わないようにしているんだよ」と答えが返ってくる。どうしてかとさらに追求すれば、少し気まずそうに口ごもってしまった。

「……言い辛いことなら、聞かないが」
「いや、言い辛いと言うか……少し、情けない話かもしれないよ?」
「……?構わないが……」

瑠夏が走らせていたペンを止め、立ち上がる。そうして俺へ「おいで」と声をかけソファーへと腰かけた。俺はどうしたものか一瞬悩んでから、瑠夏の隣へと腰を下ろす。瑠夏の腕が俺の肩を自分の方へと引き寄せてきたので、自然と瑠夏へもたれかかるような体勢になってしまった。文句を言おうと開いた口を、そのまま閉じる。触れる体温と、いつもとは違う甘さと苦さの混じり合った香りが妙に心地良く、しばらくこのままで居たいと思ってしまったからだ。

「……精神安定……というかね、不安や苛々を誤魔化すために時々欲しくなるんだ。こんな理由じゃ、人前で吸えないだろう?」
「……よくは知らないが、そういう理由で吸っている奴らも多いんだろう?嗜好品として嗜む以外にも」
「うん、そうだね。でもボクはキングシーザーのボスだ、彼らを支える柱は、揺らいでいるところを見せてはいけないんだよ」

揺るがないボスを演じてしまう、といつか瑠夏は言っていた。弱みを見せられないということは辛く、とても孤独だろうと感じたことを覚えている。その時に生まれた小さな優越感も、覚えている。
俺は身体の力を抜くと、自分から瑠夏へとさらにもたれかかった。

「俺には、見せられるんじゃなかったのか?」

言ってから顔に熱が上がってくる。霧生や他の幹部にすら見せていないという瑠夏の弱い部分を俺だけが知っている、不謹慎かもしれないがどうしようもなく嬉しかった。瑠夏にとって少しでも自分が特別であるのだと感じられることが嬉しかった。
耐えられず身を離そうとすると、瑠夏の両腕が背中へと回り自分の胸に俺の顔を押しつけるように抱き締めてくる。息苦しさと共に、混じり合った香りがさらに強くなった。瑠夏のそれは独特の色香を感じさせ、自然と鼓動が早くなる。

「……そうだね、キミには不思議と弱いところも見せたくなる」
「ん……」
「そうだ、JJ、ちょっと試してもいいかい?」
「試す……?何を、んっ」

抱き締める腕の力が緩んだかと思えば顎をすくわれ唇を重ねられる。啄ばむように頬や鼻先、瞼、額とキスを降らせながら、飽きずに唇へ口付けを繰り返す瑠夏に「しつこい」と文句を言うが、ふふ、と楽しげに笑うとまた唇を重ねてくる。

「んっ……おい、瑠夏……ん、ぅ」
「JJを補給してるんだ……じゃあ、次は、」

薄く開いていた唇を割って瑠夏の舌が入り込んできた。鼻腔を強い煙草の香りが通っていき、瑠夏の舌はいつもより苦く感じられる。普段と違う感覚はどうしてか俺をくらくらと酔わせるようだった。
瑠夏の舌は俺の口腔を味わうように動き、絡められる。舌を吸われるとぞくぞくと背筋が痺れ、瑠夏の胸へ両手で縋りついた。それでも口付けは終わらず、酸欠で頭がぼんやりするくらいになってようやく解放される。荒い呼吸を繰り返しながら瑠夏を見ると、薄く頬を染め満足そうな表情で俺を見つめていた。
一体何を試したというのだろうか、表情を見るに、希望通りの結果になったようだが。

「はぁ……っ、瑠夏、一体……」
「ふふ、やっぱり。煙草なんかよりずっといいな」
「何、言って……」
「精神安定のために吸っているって言っただろう?でもキミの唇の方が、ボクにはずっと効果あるみたいだ」

そういってまた口付けてくる瑠夏を、俺はまだ酸素が足りずぼんやりとした頭で受け入れた。唇を重ねたまま、瑠夏の両手は俺の身体をまさぐり慣れた手つきで服を剥ぎ取っていく。キスだけで終わるはずもないか、と半ば呆れながら俺も瑠夏の服を脱がせていく。瑠夏とは違い、どうにも不慣れでぎこちない動きになってしまうのが少し悔しい。
互いに上半身の服を全て脱がせ合うと、瑠夏は唇を首筋へ滑らせながら、同時に俺の胸の突起へと指を添える。

「あ……っ」
「……期待していた?触れる前から尖らせてる」
「違っ、ん、あ……」
「違うって……?でも、」

胸を触っているのとは逆の手がズボンの前を撫でるように触れる。すでに固くなっていたそれは、瑠夏の手に触れられたことでさらに反応を返してしまう。瑠夏の手が何度もそこを布越しに撫で、もどかしい刺激にもぞりと脚を擦り合わす。

「ここだって、キスだけで熱くなっていたよ?」
「う、ぁ……っ」
「なあJJ、期待していたって、言ってごらん?」

耳元に唇を寄せ熱い息と共にそう囁くと、そのまま耳たぶを軽く食んでくる。手は俺の胸とズボン越しの昂ぶりを撫で焦らすような刺激を与え続けていた。
瑠夏はこういった行為の時、意地が悪くなる、俺が恥ずかしがる顔が見たいからと言い、ねちっこい攻め方ばかりしてくるのだ。じわじわと昂ぶらされるのがどれほど辛いことかこの男はわかっていない…いや、わかっててやっているのだろう。

「あ……っ、瑠夏……!」
「ボクが欲しいって、言ってごらん?JJ」

ぐっと昂ぶりを強く押され、身体が大きく跳ねる。我慢できず瑠夏に腕を回し、その手へと自ら擦りつけるように腰を動かすと、瑠夏は小さく笑いまた唇を重ねてきた。熱い舌同士を絡ませ合いながら、俺は自分の身体が求めるままに腰を動かしさらなる快感を得ようとする。直に触れて欲しくて瑠夏を見つめると、軽く口付けてから「駄目」と言い、またゆるゆると俺のものを布越しに撫でた。

「んっ、あ……!」
「ねぇJJ、可愛くおねだりするんだ、そうしたらキミの望むようにしてあげるよ?」

悪魔の囁きだ、耳を貸せばそれこそ魂まで持っていかれてしまうのだろう。それでもいたずらに瑠夏が胸を弄り逆の手が昂ぶりを刺激してくると、瑠夏の言葉に従うしか術はなくなってしまう。

「瑠夏……っ、アンタが、欲しい、早く……っ!」
「期待は、してた?」
「っ……して、た、瑠夏にこうされるのを期待してた、だから……!」
「ふふ……いい子だ」

瑠夏は俺のベルトを外しスラックスを下着ごと脱がすと、昂ぶり先端から先走りを漏らし始めていた俺のものを握り、緩急をつけながら刺激してくる。すぐに粘つく水音が響き、俺の身体は求めていた刺激に震えた。瑠夏にまわしている腕へ力を込め、強くしがみつく。そうしなければおかしくなりそうな程身体は敏感になっていた。ふわりと、また苦さと甘さの混じった香りが鼻腔をくすぐる。これが俺を酔わせているのだろうか、いつもとは違う瑠夏の香りを感じると、妙な具合に鼓動が速まる。

「あっ……瑠夏、瑠夏……!」
「何だか、今日のキミはいつもより欲しがりだね……可愛くてどうにかなってしまいそうだよ」

腰をくねらせ、少しでも強い刺激を求める。元々昂ぶっていたそれはすぐに限界を迎え、瑠夏の手へ熱を吐き出した。

「あぁっ!」

瑠夏はあやすような仕草で俺の瞼や頬に口付けると、「ベッドへ行こう」と囁く。まだ熱の冷めない身体を引きずるようにして瑠夏と共にベッドへ向かうと、縺れ合うようにして倒れ込む。胸の突起に舌が触れ、後ろへと濡れた指が伸びる。周囲を焦らすようになぞってから、骨ばった指が中へ入り込んできた。我慢しきれない身体は、まるで逃がさないというようにその指をきつく締めつけてしまう。

「待ち切れなかったみたいだね、指だけでこんな締め付けて…」
「ん、はぁ……瑠夏、早く……っ」
「……あぁ、いつものストイックなキミも可愛いけれど、こうして乱れてる姿もたまらないな」

瑠夏は俺の求めに応えるようにして性急に指を増やすと、中を強く擦り上げた。同時に胸の突起を舌先で押し潰しながら、俺をどんどん昂ぶらせていく。先程熱を吐き出したばかりのそこはすでにすっかり勃ち上がり、先走りを漏らし始めていた。俺は瑠夏に腕を回し、首元に唇を押しつけながらさらに先をねだる。

「んっ、瑠夏……!もういい、からっ」
「ああ、わかった……キミの望むままに」

指が抜かれ、代わりに熱い昂ぶりがあてがわれる。期待に震える俺の身体を瑠夏が抱き締め、ぐっとその塊を押し込んできた。俺はどうしても力の入ってしまう身体をどうにかしようと深く呼吸をし、瑠夏を受け入れる。瑠夏は少し苦しげな呼吸を俺の首元に吐きながら全てを俺の中に埋めた、そしてすぐ激しい動きで俺を揺さぶる。

「あっ、あ……!」
「っ……そんな表情で見つめられたら、すぐ果ててしまいそうだ」
「ん、ぁ……瑠夏、あ、あ!」

激しい抽挿に翻弄されながら、それでも俺は瑠夏の表情を眺める。俺を求めている時の瑠夏の瞳が好きだ。特に瑠夏自身も昇り詰め俺の中へ熱を注ぐ瞬間の、少し眉を寄せ苦しげに声を漏らす、その時の表情が好きだった。
瑠夏の官能的な色香に当てられ、俺自身も昇り詰めていく。

「はぁ、あ……っ、瑠夏、んっ」

自分から唇を重ねると、すぐに瑠夏の舌が入り込み貪るように口腔を蹂躙される。なんとかその舌の動きに応えようと舌を伸ばし絡めていると、どちらのものとも知れない唾液が口の端からこぼれ伝っていった。動きは一層激しさを増し、瑠夏の手が俺のものに触れ、擦り上げながら互いに昇り詰めていく。

「う、あっ、あぁ……!」
「っ、く……はぁ……」

俺の中に熱を注いだ瑠夏はベッドにどさりと倒れ、その胸へと俺を抱き込んだ。情事後の独特な匂いと、煙草の香り、それにいつもの甘い蘭の香りが混ざり合う。その香りと体温に、瑠夏への愛おしさが募っていくように感じて自分からも瑠夏を抱き締めた。

「……ねえJJ、もしまたボクが不安定になってしまったら、キミが傍に居てくれるかい?」
「……当たり前だ。俺は、ずっと瑠夏の……傍に、居る」

言っている途中で恥ずかしくなり、語尾の方は萎んでしまう。瑠夏のようにストレートな言い方が出来るといいのだが、自分の性格を考えるとこの先そうできる日が来るとは思えなかった。

「ふふ……キミが居てくれたら、煙草なんていらないな。キミの唇を味わえばいいんだから」
「なっ……!」
「ボクのUn bel innamorato……愛してるよ」

そう言ってまた唇を重ねてくる。発音の良いイタリア語は、もう何度も言われていることで耳に残っている。意味はこの男の言いそうな、甘ったるい言葉だ。
”Un bel innamorato”……可愛い、恋人。









おわり