笑顔を戻すその役は

ショウは最近JJに会ったかい?会ったなら何か変わった……というか、おかしな様子は無かった?……え?違うよ、不審なんて彼相手に抱くわけがないだろう。裏切りを疑ってるわけじゃない、そうじゃなくて……その…………ははっ、今更変な遠慮をするなって?じゃあ、ちょっと話を聞いてもらおうかな、こんな事、流石にファミリー相手に零すわけにいかなくてね。
最近、ね、JJの態度がおかしいんだ。ショウはボク達の関係については知っているだろう?うん、そう恋人だ。彼にそれを言うとまだ恥ずかしがるんだけどね、まぁそういう所も可愛いんだけれど……っと、これじゃあただのノロケだね。まぁそれはまたの機会に聞いてもらうとして、本題は、JJが最近よそよそしいような気がするんだよ。
……最初はボクも気のせいだって思ったさ、思いたかった。だってまだ恋人になってから何ヶ月と経っていないんだ、四六時中片時も離さず傍に居て愛し合いたいって思うのが普通だろう?……え?まぁ個人差があるっていうのはわかるけど、それでも言葉を交わしたい、触れ合いたいって思うじゃないか。
……痛いとこを突くね、確かに彼に告白されてから態度を変えたように見えるかもしれないけれど……いや、そうだね認めるよ。ボクはJJに想いを伝えられてから考えを改めた、というか気付かされたと言った方が正しいかな。
特別な人を作らないように、どの相手も同じように愛す事がボクには出来たから。そこに偽りは無かった。ただ、彼に……JJに特別惹かれていなかったかといえば、嘘になる。

ボクは母を失くしてからずっとマフィアのボスになるため生きて、そうして今はその通り、ファミリーを従える組織のトップだ。ずっとその名から離れず過ごしてきて、それは息をするのと同じくらい当たり前の事だった、ショウも傍で見ていてくれたんだ、知っているだろう?
最初はいつもと同じ、ただ綺麗な子だと思った。でもどこかちぐはぐな部分を知って、暴いてみたいと思ったんだ。そうして少し心を開いてくれてからは、ボクをマフィアのボスとして見ていないんじゃないかって思うくらいに、JJは瑠夏・ベリーニとしてボクを扱ってくれた。ただの、一個の人間としてね。そんな彼と過ごす内に、同じ目線で夢を見て、それを語ったとしても隣に立って、笑いながらついてきてくれるんじゃないかって、そんな期待を持ったよ。
だから、彼の気持ちを聞いた時は驚いたな。一緒に未来まで走りたい相手が恋人になってくれるなんて、出来すぎたお伽噺のようじゃないか。気持ちばかりが先走って、きっと充分な言葉は伝えられなかったと思う。行動で挽回出来たとは思うんだけど……はぁ……過去に戻れるならあの瞬間をやり直したいって、ボクが何回願ったと思う?…………ショウ、笑いすぎだよ。そんなにボクの失態が嬉しいのか?
まぁ、いいよ。思えばショウには恋愛相談なんてしたことなかったね、ボクだってこの歳になって、こんな風に悩むなんて思ってなかったよ。でもほら、JJとの付き合いが一番長いのはショウだろう?悔しくないといえば嘘になるけれど、過去だけは変えようがないからね。……あ、また笑ったな?その内JJに「一番頼りになるのは瑠夏だ」って言わせてやるから覚悟しておくんだね、その時泣いたって知らないからな。

……と、話が随分逸れたね。ええと、そう、JJがよそよそしいって話なんだけど、彼が恥ずかしがり屋だってことは知ってるつもりだったんだ。でも、特にキスをしようとする時、酷く緊張するようになってしまって……失礼だな、強引になんてしてないよ。たまにしかね。
照れているから、ね。でもボクだって、拒否との違いくらいわかるさ。JJのはどちらかというとそれに近い、そもそも、そうじゃなきゃこんなに悩んでないよ。え?セックスレスなんて、そんな訳ないだろう。JJの様子がおかしいのはキスの時だけで、その後は素直に身を委ねてくれるさ。あの可愛さは自慢してまわりたいくらいだよ、まぁ、ショウにだって見せてあげないけどね。
でも……ショウも知ってるだろう?彼はセックスを幼い頃に覚えさせられた。まだそれがどんな行為なのかはっきりと知らない内にね。だから、抵抗がない、出来ないだけなんじゃないかって、そんな風に思ってしまった。馬鹿らしいだろう?想いをお互いに伝えあった、確認だってしている、それでもこんなに不安になるんだ、彼の気持ちが離れてしまったんじゃないかって。
もし無理をさせているのなら、止めてあげたい。でも出来ないんだ、身体だけでも繋いでいなければ不安でどうにかなってしまいそうで、結局そうしてしまえばまた同じ不安に取り憑かれる。完全な悪循環だとわかっていても止められないんだよ。

……そう、わかっているよ、JJに直接聞いてみればいいって。言葉にしないと伝わらない事は多い、彼は上手に嘘をつけるタイプじゃないし、きっと正直に本音を教えてくれる。だから、それが怖いんだ。もし彼に終わりを告げられた時、それでもボクはきっとJJを離せない。あらゆる抵抗の手段を奪って、どれだけ嫌だと言われても傍に置き続けてしまう。ボクを愛していない彼でも愛していける、それがわかってしまったら、決定的な言葉を聞きたくない。そんな想いは愛じゃない、狂気だよ。それが自分の中にあると知って、それでもボクを愛して欲しいとJJに縋る事が出来てしまうから。
だから、本当に怖いのはJJの本音じゃなく、想像の先にある自分だ。
…………え?最初の方にした話?……あぁ、愛情の表し方には個人差があるっていう話かい?…………そうかな、世の愛し合っている恋人達は皆幸せそうだ、とてもこんな暴力的な想いを抱えてるようには見えないよ。
…………ショウの中にもあるって?それこそ信じられないけれど……でも、そうだね、ショウはこんなとき決して嘘をつかない。だからこうして頼る事が出来るんだ。……自分だけが特別じゃないと知って安心するって、随分大衆的な心理だけど……悪くないかな。あーあ、ボクも結局ただの男って事なんだね、何だかホッとしたよ。

ん?……ははっ!そうだね、きっとそうだ!ボクにとって、きっとJJが初恋なんだよ。
なら耳を塞ぎたくなるようなジンクスもある事だし、急いで愛の再確認といこうかな。悪かったねショウ、開店前に時間をとってもらって。外で待ってる運転手もそろそろ首が伸びてしまっているかもしれないから、失礼するよ。このお礼はまた後日……と、あぁそうだ、今日の事、くれぐれもJJには内緒にしてくれよ?どうしてって……わかるだろう?本音を言える恋人の前でも、出来るなら格好つけていたいんだよ。



そう言って、僕のよく知る瑠夏の後ろ姿は扉から外へと吸い込まれるように消えていった。最後に見えた横顔がここへ来た時と随分違って見えたので、きっともう大丈夫だろう。その人生の大半を見てきた彼から、これ程プライベートな悩みを打ち明けられたのはもしかすると初めてではないだろうか。その内容も含めて、口元からは笑みがどうしても隠せなかった。
それは初恋じゃないかと、からかい混じりに指摘した時の嬉しそうな表情を思い出す。あぁ、瑠夏は素晴らしい相手を見つけたのだと、JJはそんな風に笑える相手に愛されているのだと、まるで娘を嫁に出すような心境だと感じたが、存外悪くないものだ。それは、もう味わう事が出来ないと思っていた事のひとつだったから。
優しい気持ちで思い出す事など、きっと出来ないと思っていた。でも今年は、今の穏やかな気持ちのまま彼女たちに会いにいけそうだ。冷たい石の中眠る、永遠に愛しい僕の家族に。

「……JJ、もう出てきて大丈夫ですよ」

そう声をかければ、カウンターの下で丸くなっていた影がもぞりと動く。わかりやすく罰の悪そうな表情をした彼は視線を一瞬ドアの方へ向け、そこに誰も居ない事に安心したのかそれとも少しだけ寂しかったのか、小さく溜息を吐くと改めて僕へと向き直った。

「アンタも、大概人が悪いよな」
「酷いですねぇ、機転がきくと言って下さい、あのまま見つかった方が気まずかったでしょう?」
「そう……なんだが……」
「それに、恋人相手だからこそ言えない事というのもあるんですよJJ、瑠夏の本音を聞こうとするなら、このくらいはしないと」

そう言って微笑みかければ、彼は複雑そうな表情のまま、それでもそれ以上何か言ってこようとはしない。瑠夏の本音を余すところなく聞けて嬉しいと思う自分に気付いたのだろうか、不自然に口元を押さえる様は初めて見る表情だ。
JJは、瑠夏より一時間程早く僕の店にやってきた。「瑠夏の前で普段通り振る舞う事が出来ない」「肌が少しでも触れ合えば緊張して、どうしていいかわからなくなる」「マスターなら、これがどういうことか知っているんじゃないか?」と珍しく饒舌に捲し立ててきた彼の姿を思い出すとまた口元には笑みが浮かんでしまう。僕の知らない所ですっかり大人になってしまったかと思えば、そんな可愛い悩みで綺麗な顔に難しく眉を寄せながら、この店へ駆け込んできてくれた。そうした中で、瑠夏から「今から店に行っても大丈夫かい?」という電話があり、少しだけ悪戯心が働いたというだけの話だ。
怯えて塞ぎ込み、決して僕の手を取ろうとはしなかった小さな子供。その子が今こうして、初めて恋を知った少年のように……いや、そんな例えはいらないだろうか。きっと瑠夏と同じで、JJも初めて恋をしたのだ。そうしてその悩みを誰でもない僕に打ち明けてくれる、油断すれば随分と脆くなった涙腺は簡単に頬を濡らしてしまうだろう。

「それで、JJはどうします?」
「……帰る」
「ええ、それがいいでしょう。裏道を使った方がいい、バイクなら先回りすることは容易でしょう、屋敷で瑠夏を待っていてあげなさい」
「そうするよ……その、マスター…………悪かったな、ありがとう」
「……いえ、悩みを打ち明ける相手に選んでもらえるのは、僕にとって喜びですから。また、いつでもどうぞ」
「あぁ……それじゃあ、また」
「今度は、瑠夏と一緒に飲みに来て下さい」

その言葉にJJはふっと笑みを浮かべて頷きながら、カランと慣れ親しんだベルの音を鳴らし店を出ていった。開店まではあと数十分といったところだろうか、準備は滞りない、むしろついつい早く来てしまったのでどう時間を潰そうか困っていたくらいだ、その空白が彼らの役に立ったというのなら、お互いにとって幸福な時間だっただろう。
僅かな寂しさは、次に彼らが来るまでのスパイスのようなものだ。大切に見守る事が出来る日々、いつかは叶わなかった僕の願いは、巡り巡って形を変え、今叶えられている。
手に取ったグラスを丁寧に磨きながら、そこに移り込んだ自分の口元が緩んでいる事に、また笑った。






おわり