夜明けの空へ独り言
スッと、波が引くように目が覚めたのはいつぶりだろうと、そんな風に考える事が出来るくらいにその日の朝は頭がハッキリとしていた。いつもはそう、まぶしい朝日に瞼を焼かれながら、ボクの肩を弱く揺する手の温度と寝起きで少し掠れた……いや、掠れている原因はもしかするとボクにあるのかもしれないけれど、そんな彼の声で起こされているのに。彼が起きたら驚くかもしれない。
油断しきってぼんやりとした表情で目を覚ます彼はどれだけ可愛い事だろう、きっと見てしまえばキスを贈らずにはいられなくなると確信していた。だって眠っている顔がこんなに愛おしく見えるのだから、その瞳がボクを映したのなら抱き締めない方が失礼だ。
だから早く起きて、と逸る気持ちを抑える。もう少しこの無防備な寝顔を堪能してからでも遅くは無い。珍しく早起きをしたのだ、このくらいのご褒美を貰ってもいいだろう?彼に問えば呆れて溜息のひとつでも吐くだろうか、それとも仕方がないと困った笑みを見せてくれるだろうか。
笑顔だと嬉しいけれど、実は少しだけ心臓に悪い。最近になってようやく見せてくれるようになったやわらかい笑み、表情の変化に乏しい彼が浮かべるそれは、いつもボクの心臓を大きく鳴らした。
あぁ見せたくなどない、他の奴らにはこのひとつだって。ボク以外の前で笑うなと言えば彼は従ってくれるだろうか、いや、きっと困らせるだけだろう。組織を嫌っていた彼が、ようやくここでの生活に慣れ他のファミリーとも親しくしているのだ、我儘でそこに水を差してしまうのは彼らの“ボス”がやるべきことではない。
……でも、ボクは彼らのボスであり、彼の恋人でもある。だからこそ相反する二つの感情にいつも揺さぶられる事になるのだ。彼がファミリーの皆と親しくしていることはとても嬉しい、でもいつだってそれだけではなくて、消えない不安はいつも当たり前の顔をして傍に居た。
彼にとってのボクは刷り込みのようなもので、優しく抱かれた事のない身体を初めてそうしてあげたのがボクだっただけで、心は身体に引き摺られてしまっただけなのではないかと。
そう考える度彼の身体を強く抱き締め誰の目にも触れない、自分以外を見られない場所に閉じ込めてしまいたくなる。そうしてしまえばきっとこの不安は跡形も無く消えてしまうだろうと、自分でも狂気じみていると感じる思考に、それでも想像の度心は少しだけ和らいだ。
腕の中に居てくれるこの存在を大切にしたい、でもそれはいつか歪んだ愛をぶつける対象に変わってしまうのではないだろうか。彼への愛情は膨らむ一方だ、それを彼は戸惑いながら精一杯受け入れてくれる。
もしその瞳にほんの僅かでも拒絶の色が浮かべば、暗く甘美な想像は現実のものになるのだろう。
「JJ」
「ん……」
耳元にわざと甘く囁けば、JJは小さく声を漏らし身じろぎをした。ボクが先に起きようと彼が先に起きようと大変なのはこの後の時間で、肌に色濃く残る情事の痕と無意識にか離れる事を拒むように見つめてくる瞳からどうにか目を逸らさなくてはいけないのだ。もちろん休日ならばそのまま彼と昼までか夕方までか、ベッドで過ごすところだが仕事がある日はそう言う訳にいかない。誘惑を振り払い彼の身体を離す事はこの後待つどんな仕事よりも難しいと、ボクはいつも頭を悩ませていた。
これ程に離れがたい人を、ボクは知らない。知らなかった。いつまでもこの腕の中に抱き締めてその温度に溶けていたくなる。
「JJ、起きないと、本当に起きれなくしてしまうよ?」
「っ……ん……るか……?」
ぼんやりとした口調で呼ばれた名前は、少し舌ったらずに聞こえてボクは思わず喉を鳴らして笑ってしまった。
本当はわかっている、こうして彼が誰かの腕の中で熟睡しているのは奇跡のような事なのだと。まだ死への恐れも無かっただろう幼い頃に、蔑まれ、嬲られ、人としての尊厳を徹底的に踏みにじられた。想像することすら恐ろしいような環境で生きて、それでも今、眠りの間ボクに身を預けてくれているのだ。どうして、愛さずにいられるというのだろう。
「珍しい、な……アンタが先に、起きているなんて……」
「そうだね、ボクも目が覚めて驚いたよ」
まだ寝惚け眼で見つめてくる彼を一層強く抱き締めて、頭の中ではどうにか今日をオフに出来ないかと考え始めた。誰かとの商談はあっただろうか、急ぎの仕事は、そもそも何と言い訳をして霧生達を言い包めようか。仕事を抜け出すのはしょっちゅうだけれど、こんなことなら普段もっと真面目にしていればよかったかもしれない。そうすれば「体調を崩した」という陳腐で使い古された言い訳でもすんなり通ったかもしれないのに。
このまま彼を離したくない、甘やかして、優しくして、表情も身体もドロドロに溶かしてしまいたい。肌のいたる所に口付けて、唇は特に執拗に、自分の中にあるだけの愛の言葉を囁きながらキスをしたい。熱に浮かされた頃になればきっと彼も返してくれるだろう、たどたどしく、いつまでたっても言い慣れない愛の告白を。
「……なぁ、JJも一緒に考えてくれないか?」
この居心地の良すぎる空間を壊さなくてはいけない時間に時計の長針が進むまで、残りは半分程。ボクの提案を彼は受け入れてくれるだろうか、生真面目な所もあるからもしかしたら反対されるかもしれない。
まぁそのときは、休まなくてはいけない状態になってもらうことにしよう、そう考えてJJの顔を自らの胸に押しつけながらほくそ笑む。カチ、と、時計の針が小さく動くのを見て、もしかすると最初からそうした方が手っ取り早いかもしれないと、JJの顎を掬い口付けた。一気に覚醒した彼の瞳がボクを映すのを、やはり見えないよう口角を上げながら眺める。今日も、良い日になりそうだ。朝の日差しは起きた時と少しだけ位置を変えていて、ボクとJJにキラキラと降り注いでいた。
おわり