すれ違いの激情

分かっていた。自分の望みは途方もなくて、叶うものではないことを。
けれど、それでも手に入れたいと思ってしまったんだ――――


手を持ち上げ、廊下にこつこつと硬質な音を響かせる。最初はぎこちなかったその動作も最近ではだいぶ慣れてきた。

「JJだ」
「あぁ、入ってくれ」

重厚な扉を開けて中に入る。と、先客の姿が目に入って俺は足を止めた。執務机の前に立って瑠夏と言葉を交わしていたのは、ボスの忠実な懐刀である霧生。

「…後にした方がよかったか?」
「いや、用はもう済んだから大丈夫だよ、JJ」

踵を返そうとした俺を瑠夏の声が呼び止める。その横を霧生が足早にすり抜けていった。

「では、失礼します、ボス」
「あぁ、霧生。気をつけて行ってくるんだよ」
「はい…!」

瑠夏と霧生のやり取りは、まるで主とそれにのみ忠誠を誓う獰猛な猟犬を思わせる。その間に流れる年月は当然俺のそれよりも長い。
ふと心のどこかにほの暗いものが流れそうになり、俺はそれを振り払うように瑠夏の前へ歩を進めた。

「じゃあ、報告を聞こうか」
「あぁ。今回の任務についてだが―――」

報告をしている間、俺の視線は瑠夏の一挙一動に注がれる。話に頷きながら書類へペンを走らせたり、机に肘をついて考えこんだり、そして、時折こちらを見上げたり。
向けられる瞳の青空のように澄んだ輝きは、強く俺を惹き付けて離さない。出来ることなら、そこに自分だけを映して欲しいと願ってしまう程に。

「――報告は以上だ」
「うん、ご苦労だったね。ありがとう、JJ」
「あぁ。では、失礼する」

必要なことをあらかた伝え終わり、俺は部屋を出ようと体の向きを変えた。すると手首を掴まれ、ぐいと引き戻される。

「…瑠夏?」
「JJ、キミは今日の予定はもう何もないよね?」
「あ、あぁ」

勢いにつられて頷くと、身を乗り出してこちらの顔を覗き込んできた青が妖しく細められた。

「じゃあ、今晩またここに来るんだ。いいね?」
「……」

言うだけ言って、唇に軽く触れるだけのキスをすると、瑠夏は再び椅子に座って執務の続きを始める。俺はその雰囲気に押されるまま、部屋を出て自室に戻った。
部屋で一人になると、ふいにさっき瑠夏が言った言葉が甦る。同時に、入れ違った霧生の姿も。

「…いや、考え過ぎだ」

あの時確かに瑠夏は「キミは―」と言った。おそらくその言葉に深い意味はないはずだ。
だが―――

打ち消そうとすればするほど、瑠夏の言葉と任務に出かける霧生に向ける瑠夏の視線が浮かんでくる。つまりそれは、今夜霧生がいないから代わりに自分が誘われたのではないかという憶測。
根拠も何もないのに、その考えが頭にこびりついて離れない。

「…何を今さら。分かっていたことじゃないか」

絞り出すような声で呟く。
そう、分かっていたはずだ。瑠夏は気の多い男で、自分のことも大勢の中の一人としか見ていないのだと。普段は考えないようにしていられたが、今日はタイミングが悪かった。
ただ、それだけのことなのだと自分に言い聞かせようとする。しかし、いったん覚えてしまった感情を拭い去るのは難しかった。胃の辺りが重く、まるで鉛の塊を飲み込んだように感じる。

「くそっ…」

ベッドに横たわり、何も考えないようにして目をつむる。それから夜までの時間は果てしなく長く感じられた。





「……」

夜になっても重苦しい気持ちは変わらないままだった。
瑠夏の部屋に向かう足取りは重い。自分の部屋にいた時は早く夜が来ればいいのにと思っていたが、こうして来てみると夜なんか来なければよかったのにとも思う。
酷く軋む心を抱えたまま、俺は再び部屋の扉をノックした。

「誰だ?」
「…俺だ」
「あぁ、JJ。入ってくれ」

ガチャリと開けるドアが昼間よりも重く感じたのはきっと気のせいではないだろう。部屋に入るとその主はバスローブ姿でソファーに腰掛けて寛いでいた。その堂々たる風貌から放たれる雄の色気は圧倒的で、沈んだ気持ちとは裏腹に身体の奥が反応する。結局、どんな形であれ愛されたいと心の奥底では願っているのだ。

「ほら、こっちにおいで」
「あぁ」

招かれるまま隣に座ると自然に腰を抱き寄せられて顎を掬い上げられる。目を閉じると軽く唇が触れてきた。誘うように唇を開くと隙間から熱い舌が入り込んできて絡め取られ、強く吸い上げられる。

「ん…っふ、ぅ…ん」
「っ、いい声だJJ…もっと聞かせて…」

甘ったるい囁きと口づけ。いつも俺を溶かしていくそれが、今日は何だか苦く感じる。それでも、何も考えないようにと夢中で縋りつくようにして貪った。
服を脱がされ、ベッドへと連れて行かれる。剥き出しの肌を絡め合い、また唇を重ねたところで不意に瑠夏が口を開いた。

「ねぇJJ…キミ、さっきから何を考えているんだい?」
「…っ」
「いつもより妙に積極的だし…何かあった?」
「いや、何も…」

俺の心を見透かしたように鋭く指摘してくる言葉に、内心の動揺を抑えながら答える。すると、間近から覗き込んでいた瞳がいつもとは違う意味で細められた。

「JJ…キミ、嘘つくの下手だね」

冷えた声に混じる、微かな苛立ち。
この男がただ優しいだけの男ではないことは、とっくに分かっていた。今も、温和な表情の裏に見え隠れする鋭い牙と獰猛な眼光がそれを仄めかしている。
けれど、瑠夏にさっき生じた疑問をぶつけるわけにはいかなかった。もし、返ってきた答えが自分の望むものでなかったら。その恐怖の方が、乱暴に手首を掴んできた男へのそれよりも大きかった。
いや、むしろ――――

「ねぇ、JJ。正直に言わないと酷くするよ?」
「…だから、何もないって言ってるだろ」
「そう、あくまでボクに隠すつもりなんだね…じゃあ、こうするまでだ…!」
「…っぅ!」

いきなり胸の先端をきつく捻り上げられ、苦痛に声が漏れる。指先で強く押し潰され、捏ね回された粒が真っ赤に腫れ上がった。もう片方も歯で噛まれてジンジンと痛みが疼きだす。

「瑠夏、止め…っ、痛っ…ぁ」

痛みに視界が滲み、思わず瑠夏の手を掴んだ。だが、返ってくるのは、さっきよりも冷たい声。

「痛いって言いながらも感じているじゃないか、ほら」
「あ、あぁっ…!」

大きな手にぎゅっと下肢を強く握られて喉の奥から引き攣れた声が漏れる。苦痛でしかないはずの愛撫に俺のものは緩く立ち上がり、先端に透明な蜜が滲んでいた。瑠夏の手がそれを乱暴に擦り立てると、ひりつくような痛みが走る。

「っ、あ、いっ…」
「キミは痛い方が感じるんだろう?」
「違っ…そんな、こと」
「ないって?でもここ、こんなになっているじゃないか」
「っ…!」

すっかり硬くなり、びくびくと脈打つそれを見せつけるように握りこまれた。同時に空いている片方の手が後ろへ伸ばされ、乱暴に指を捩じ込まれる。

「っあ…!」
「痛い?でも、キミは痛い方がいいんだよね?」

いたずらに数回掻き回しただけで瑠夏はその指を抜き、代わりに熱く凶悪な塊を押し当ててきた。

「っ、瑠夏、待っ…!」
「そう言われて、ボクが待つとでも思う?」
「っあぁぁ!」

逃げようとした腰を強く押さえ付けられ、一気に奥まで貫かれる。痛さのあまり一瞬意識が飛びかけたが、続けて襲ってきた激しい律動に引き戻された。無理やり押し広げられ、容赦なく中を擦られて、痛くて堪らない。
けれど、それにひどく安心している自分もいた。

どうせ叶わぬ想いなら、いっそ酷くして欲しい。少しでも獅子の激情に、剥き出しの感情に触れられるのなら、何をされても――――

やがて馴染んできたのか、痛みしかなかった場所に快感が生まれ始めた。その快感を拾うように俺は腰を揺らして貪欲に求める。何も分からなくなるくらいに欲しい。

「あっ、あ…、瑠夏…っ」
「っ、JJ…」

背中に回した腕でしがみついて名を呼ぶと、目からどっと熱い雫が溢れだした。それが快感によるものなのかどうかすら分からない程、心が制御できない。
目元を優しく拭われ、少しクリアになった視界に瑠夏の顔が映る。その表情がどこか苦しげに見えたのは気のせいだろうか。

「っん…」

瑠夏はその表情で俺を見つめ、無言のまま唇を重ねてきた。舌で俺の口腔内を激しく犯しながら、中を深く貫いてくる。奥の感じるところを強く突かれて堪らず熱を吐き出すと、同時に瑠夏の迸りが注がれたのを感じた。だが、瑠夏の動きはまだ止まらない。

「まだ、欲しいんだろう?」
「っ、あ…」

低く掠れた声と共に腰を打ち付けられて、強い快感に目が眩む。でも、もっと欲しい。

「瑠夏、もっと…っ」
「あぁ、キミの望むままに」

膝を抱えて俺の体を二つ折りにした瑠夏がより深くへと入り込んでくる。達したばかりの身体を犯されて、また絶頂へと昇りつめるたび、白く塗り潰されていく意識。
そうして何度目かの熱を吐き出した時、俺は意識を完全に手放した。





汗で張りついた前髪をそっとかき上げ、額にキスを落とす。腕の中に抱き締めた体温は行為の名残からか、普段よりも高い。

「JJ…ごめんね、酷くして」

頬を指で撫でて顔を覗き込み、謝罪の言葉を呟く。

「だけど…」

キミが酷くされるのを望んでいるように見えたから。だから…

「いや、これは言い訳だな…」

自嘲の笑みを唇に刻みながら、ひとりごちる。
あの時、JJの中に殻のようなものを感じた瞬間、自分の感情が抑えられなくなっていた。人は誰でも隠しておきたい心がある。そんなことは分かっているし、承知していたはずなのに。
その見えない殻を壊したいと思った。そして。

「ボクはキミにもっと触れたいよ、JJ…」

小さく苦い呟きが、白み始めた朝の空気に溶けて消えた――――

END.